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アイデアスケッチより

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平均化訓練について、より個人的なもの。 書き溜めていたアイデアスケッチを記事として読めるように形を整えたもの等。 他の投稿と内容の重複する場合があります。
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あまり言葉にしたくない

あまり言葉にしたくない

平均化操法についてその経験をあまり言葉にしたくないという思いがあった。
その場で受け取った感触を大切にして、自分の中でもその経験に註釈をつけたりはしないようにしていた。
当時を振り返っても操法について言葉をもって積極的に解説するという人はいなかったように思う。

相手の言い分を聞いた時、それが前向きな意見交換であれば歓迎できたと思うけれど残念ながら口論に発展しそうな予感があった。
その上で相手に「

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混乱の始まり

混乱の始まり

平均化操法を受けた後、先生にひとつ質問をする為に道場で待っていた。
たしか楷書体をする時に首が安定しないことについて聞きたかったのだと思う。
今思い出すと本当に初歩的な質問で恥ずかしくなるけど、当時の型の理解度を思えば仕方ない。

背中を殴られたのはその時のことで、体操の自主練をしようみたいな感じで相手は僕の背中に触れていた。
途中までは確かに体操だったけれど、急に相手が背中を殴ってきた。
痛いか

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講座に身を置く

講座に身を置く

あれこれ考えてもあまり意味はない。
講座があり、練習会があり、これから平均化訓練が研究されていく、その流れの中に身を置くのは止めないようにしよう。
その中でいろいろと経験していけば変化があるのではないか。
そうは言っても、同時にそれは場所にしがみついているだけなのではないか、という気もしていた。

余計なことを考えず素直に体操することはひどく困難なことになっていた。
あるいは、この状況で体操がした

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理屈だけわかっててもうまくいかない

理屈だけわかっててもうまくいかない

僕の平均化訓練はここまでだ。
そう思ってすぱっと退場すればよかったのではないか。
悪感情を抱えて講座に参加しても誰にとってもいいことはないだろう。
理路で言えばそれがいちばんだと思った。

あるいは真っ先に先生に相談すればまた違っただろうか。
そんなことはまったく思いつかずに変に自分の問題だと抱え込んでしまった。
こういうものは自力で解決するものだとはわかった。
もちろん理屈の上での理解でしかなか

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不安についてくるもの

不安についてくるもの

「もしかして怪我でもしたのではないか」

そんな考えがふと頭に浮かんでからずいぶんと不安になってしまった。
不安は憤りと混乱を呼ぶ。

原因が背中を殴られたことなので、殴ってきた相手に対する憤りは不安に駆られてとにかく大きくなってしまう。
憤りと不安は区別がつかなくなり混乱はどんどん深まるばかりだった。

混乱は大きくなり複雑になりしていくが、もとはと言えば最初の不安以外にら何もない。
余計な考え

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芯が動く

不安に囚われてからまったく体操が出来なくなってしまった。
それまでは「できている」感触があった。
それはまだ小さな兆しのようなものであったけれど、指針に出来ていた身体の芯が動く感触があった。
しかし、余計なことを考えているとまったく動けない。
動けないどころか、動くたびにどんどん身体が冷えていくような感じがあり、そのまま自分の練習は頓挫してしまった。

これは本当に困った。
完全に自分の体操を見失

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指針

指針

体操の理論化がされていない頃、平均化訓練の練習の指針になるものはただ体操の感覚ひとつだった。
当時は体操を体験した人が様々な解釈をして意見を交換したりが活発だった。

体操指導を受けて、自分の身体の中に生まれた感覚を追いかけて理解した気になってみたり、わからなくなってみたり、それはとてもカラフルな経験だった。

不安になると

不安になると

不安になるとまず体操はできない。
余計なことを考えていたら、そもそも体操にならない。

背中を殴られた後にふと「もしかして怪我でもしたんじゃないか」と思った途端にまったく自分の動きは変わってしまった。
急に不安になってしまい、それきりすっかり身動きが取れなくなってしまった。
余計なことを考えてしまったな、と思うのと同時に、これは長くかかるだろうと漠然と感じた。

さて、どうすればいいのか。
平均化

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背中を殴られて

背中を殴られて

もう5年以上前になるけれど、平均化訓練の講座の後に背中を殴られてしまった。
理由はよくわからない。
相手の言い分は意味を成していなかった。
でも、その話はここではもう関係ない。

それから僕はその事をずいぶんと気に病んで、困ってしまった。
この件については今もまだ僕を縛っている。
それ以来、体操するのが怖くなってしまった。

なんで体操をするのが怖いのか。
これは自分でも理路がよくわからない

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失礼考

失礼考

多様性が認められる世の中になってくると、どうしても世界は複雑になります。
あるところの常識が別の場所の非常識であったりします。
だからお互い知らず知らず、誰かに失礼な態度をとられたり、あるいは自分が誰かに失礼な態度をとってしまったりと、そんな場面は多くなったように思います。

そんな時に思うのは「相手の失礼さは自分の責任ではない」ということです。
失礼な態度をとる人が目の前に現れたとして、それは別

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アイデアスケッチより 15

アイデアスケッチより 15

初期の頃を思うとこれだけ講座が安定して開催されるようになったのはとてもよいことだと感じる。
来る人こそ減った気がするが、しかし、それでいいのだろう。
当時の熱狂、あるいは勘違いにパワーはあったかもしれないが、それは本来必要がないものだ。

アイデアスケッチより 14

アイデアスケッチより 14

指導者になって何がしたかったのか。
それは講座に行きたくても行けない人に平均化訓練を伝えることだ。
会場まで行くためだって手間も時間もお金もかかる。
望んでも行けない人がいる。
体操が必要だと思う人にはなかなか届かない。
実際もどかしい気持ちになったこともある。
ものまね程度のクオリティで平均化訓練を伝えたことにはならないだろう。
自分の鍛錬の必要を感じていた。

アイデアスケッチより 13

アイデアスケッチより 13

平均化状態(心地よい体の状態)が人から人へ伝わっていくのがよいなと思っていたし、多分これは間違ってない。
よい状態で人に触れるということを突き詰めていくことなのだろうな、と思っています。

アイデアスケッチより 12

アイデアスケッチより 12

練習に悩みを抱えた人がいて、その人に会った時にかけるべき言葉があるとすれば「一緒にやりましょう」だけだろう。
言葉遊びで何か言った気になっているとしたらそれは勘違いだ。