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心が壊れても選びたかった道

「あの時、私があの選択をしたから今がある」
ふと、そう思うことがあります。ちょっとした時に、あの頃のことを思い出すのです。

あの頃、というのは私が必死に生きた高校3年間、思い返すと胸がぎゅっとなる3年間のことです。今までも、3年間のことは何度もnoteで振り返ってきました。でも、この機会にもっとちゃんと、今に至るまでの数々の選択を振り返りたいと思いました。お付き合いいただけたら嬉しいです。

かつて中学3年生だった私が選んだ、自分の学力より、少し上のレベルの公立高校。私はそこに合格して、自分が選んだ場所に入学しました。私の高校生活はそこから始まりました。かと思えば、あっという間にコロナで休校。クラスメイトの名前も顔も覚えられないまま、6月まで登校できず、ぬるま湯の中のような、中途半端な期間を過ごしました。この時すでに、環境の大きな違いに違和感を覚えていた私は、休校が明けてもなかなかクラスメイトのことを覚えられず、雰囲気に打ち解けることもできずにいました。友達に導かれて入部した部活だけが、唯一の逃げ場のように感じられた1年間。コロナに翻弄されて、将来の夢が、いつしか崩れていきました。

高校1年生の頃は、たくさんの夢を選択肢として持っていました。それはたとえば、教師、助産師、ホテルのフロントスタッフ、ディズニーのキャスト、ブライダルプランナー、観光系の職種。その他にも色々なものに興味があって、どれを選ぶかを悩んでいました。でも、高校で学んでいくうちに、勉強に嫌気がさして。どんなに努力しても、コロナが終わらなければ、思うようにそれが報われないと気づいてしまったのです。当時は今と違って、終わりが見えなかったコロナ禍。おかげでかつての私は、希望を何も見つけられませんでした。そんなこんなで辛くなった時期が、ちょうど1年生の秋でした。「高校を卒業してまで勉強したいことはない。だから高卒で、地方公務員として就職する道を選びたい」これが実際に、私が両親に伝えた言葉でした。両親は、私の選択に反対はしませんでした。

それとほぼ同時期、私は教室に居ることに対して、言語化しにくい苦しさを覚えるようになりました。理由は分からないけれど、日々劣等感に追い込まれ、何かに、もしくは誰かに、ずっと責められているような、得体の知れない不安を感じていました。授業中に迫り来るわずかな息苦しさ、正体不明の恐怖心たち。しまいには部活も、思うように足が向かなくなって、参加できない日が増えるばかりになりました。今思えばこの頃すでに、心は半壊状態でした。

そしてその年の冬、私はひとつ、重要な選択をしました。それは、「病院勤務の社会福祉士を目指す」という、新たな進路の選択でした。公務員になろうと努力をした結果、すぐに無理だと現実を突きつけられました。それは、参考書で問題を解いていて、一向に先が見えなかったことがきっかけでした。どんなに解いても、どんなに解説を読んでも、理解できなくて。何より、今まで持っていた夢と比べて、目指したいと思う気持ちが足りなくて。努力をする上では欠かせない、目標や夢に対する情熱が、公務員合格という目標に対して、一切湧きませんでした。そんな時、私が好きなドラマをみていて出会ったのが、社会福祉士という仕事でした。現実逃避のためにみていたドラマ。その1話にさりげなく登場していたのが、病院に勤める社会福祉士、いわゆる医療ソーシャルワーカーでした。私はあの時、直感的にこの職を目指すという選択をしました。この選択が、私の人生を大きく変えたと言っても、過言ではありません。

そして月日は流れ、高校2年生夏。半壊だった私の心は、ガタガタと激しく音を立てるようになり、今にも全壊しそうな程に脆くなっていました。プレッシャーに勝てず、頑張れない自分が嫌で、逃げるように部活をやめて、フリーな状態で迎えた夏休み。2年生のクラスにも馴染むことができずにいた私は、趣味に没頭しながらも、医療ソーシャルワーカーを目指すために進学する、という選択のもと、猛勉強をしました。ちょうどこの頃、父親の勧めで心療内科への通院が始まりました。得体の知れない不安や恐怖心、息苦しさを薬で抑えながらも、必死に勉強する日々を過ごしました。

結局、高校2年生の間、私の心は半壊のまま耐えてくれました。

そして最終学年の夏。半壊だった心が、突然に全壊しました。それは夏休み中のある日、模試を受けるために登校した時でした。いつもならどんなに辛くても歩けていた通学路。学校が目の前に見える歩道橋の上。そこで突然、吐き気が止まらなくなり、その場でしゃがみこんでしまいました。目には涙が浮かんでいたし、もう耐えられないかもしれないと思うほど、苦しくなりました。今でも、あの瞬間のことは鮮明に覚えています。あの時、私は誰にも頼れませんでした。全てはあの日、何かがきっかけで、心が完全に壊れました。

心が限界を迎えた時、真っ先に考えたのは私がしてきた選択の数々のことでした。自分よりレベルの高い高校を選んだこと、医療ソーシャルワーカーを目指すために進学を選択したこと、受験方式で推薦ではなく頑なに一般を選んだこと、努力して攻めるしかない道を選んだこと。何がいけない選択だったのか、という気持ちが浮かんで、苦しさが増したのを覚えています。

心療内科も、両親も、そして友達も、ずっとそれらは私の傍にいてくれて、存在してくれていました。私の視野が狭いばっかりに、当時はそれを頼ることができず、ひとりで全てを抱えて、プレッシャーと不安感に押し潰されていました。

ボロボロなまま迎えた共通テストと本命の入試たち。辛いことの積み重ねだったそれまでの過去も、あの日だけは力を貸してくれたように思えました。入試会場で思い出したのは、私が今の進路を選んだあの瞬間のことでした。この選択をしたから今、私はここにいて、必死に戦ってきた。この選択が正しいかなんて分からないのに、今日までずっと一途で、必死で。よく頑張ったなぁと。そこで初めて、この道を選んでよかったと思えました。きっと、攻めることを知らない人生を、私は選びたくはなかったんだと思います。

入試を終えて、合格を経て、今私は、あの日選んだ進路の上を力いっぱいに歩んでいます。そして、あの日の選択はきっと、間違いなんかじゃなかったと、この目と心で確かめるように、努力を重ねる日々を送っています。心が壊れたとしても、選びたかったもの。掴みたかったもの。それは今の幸せな毎日と、大切な目標だったんだと、受験を終えて心の欠片が元に戻ろうとする時の流れの中で、気づけるようになりました。

医療ソーシャルワーカーになる。

あの日の私の選択と、ボロボロになっても決して諦めなかった自分の心。これらは今、私の自信と強さになりました。些細なことから選ぶことになったこの道。きっかけはひょんなことからでした。それでも、この選択は間違っていなかった。心からそう思える今の状況に、感謝しています。

あの歩道橋の上で、今までの選択の何が間違いだったかと考えたあの夏の日。今だからこそ、あの日の私に言える言葉。

「何ひとつ、間違った選択なんてなかったよ」

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