見出し画像

クリストファー・ノーランの「オッペンハイマー」は賞賛に値するか?/一日一微発見440

僕は今でこそ「アート」の人だと皆思っているが、基本的に編集者だし、広告やキャンペーンのプランニングやクリエイティブディレクターとしての仕事をしてきた。その中でも「音楽」との仕事は大きい。
とりわけ「HIROSHIMA1987-1997」というチャリティコンサートのヴィジュアルワークに10年間にわたって参加したことは大きな体験だった。

それは多くのミュージシャンが出演し、コンサートの売り上げを原爆被災者の特別養護老人ホームの建設に寄附するというものだった。当時僕は、ロックアーティストをかかえるプロダクションやレコード会社と直接仕事をしていたし、そのミッションにも共感できたし、何よりも広島や被爆について肌身で感じることのできる大きなチャンスだと思ったので、迷うことなくひきうけた。

ステージでは多くのミュージシャンたちがコラボしていたが、僕は僕でポスターやパンフレットを作るにあたり、当時活躍していたアートディレクターやコピーライターにも説明し、参加してもらった。

しかしそれ以上に重要だったのは、広島に落とされた原爆の真実を学べたことだ。被爆者から直接話も聞けたし、写真家の高橋恭司をさそって、放射線研究所や原爆資料館に陳列されている「遺品」を撮影してまわり、モノと対面した。

すべては「事後」であり、日々風化していく。しかし、原爆が投下された8月6日の「あの日」。すべてが一変した、あの日を脳内に甦らせる体験は大きかった。

核分裂を兵器にした爆弾は爆心地の90%の建物を消滅・破壊し、死者は14万人をこえた。民間人である。
僕は被爆者の類縁はいないが、広島でおきた「物理的」そして「文化的」「精神的」な加害について忘れてはならないと、はっきり思う。

今の都市としての広島がいかに復興していようと、日本がアメリカと経済的・軍事の同盟関係にあろうと、そんなことは関係ない。
絶対に忘れてはならないことがある。それは原爆にまつわることだ。

本題に入ろう。
クリストファー・ノーランの映画「オッペンハイマー」のことである。

ここから先は

1,887字

応援よろしくね~