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ウクライナの思ひ出(行ったことないけど)

日々、緊迫の度を増すウクライナ情勢。

ウクライナの今を伝えるさまざまなニュースで、いろんな場所や人の映像を目にするたびに、なんとなく行ったつもりになっていたウクライナを思い出したり、ざっくりと「ソ連」や「ロシア」として記憶していた場所がウクライナだと聞いてびっくりしたり、「きっとウクライナの人ってこんな感じなんだろうな」と想像したときのことが蘇ってきたりする。

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ウクライナ西部、リヴィウから南に160km、ルーマニアに近いコロミアという街にある「ピサンキ博物館」。3年前に東京外国語大学で行われていたウクライナ写真展で展示されているのを見て、「何だ、これは!」と思って写真を撮った。

ピサンキは、針やピンを使ったろうけつ染めで、色とりどりの細かい模様をほどこしたウクライナのイースターエッグ

ずいぶん手の込んだイースターエッグをつくるものだなあと思っていたら、ピサンキの起源はキリスト教以前の宗教にあった。

ピサンキの歴史はイースターそのものより古い。キリスト教以前の時代すでに様々な文化で、春の始まりに卵を染め、自然が冬眠から目覚めるのを祝っていた。卵は新しい命のシンボルであり、太陽や植物のモチーフなど自然の豊穣を連想させる装飾が施された。

ニュース番組を見ていたら、避難民を受け入れるシェルターの子どもが遊ぶための部屋の片隅に、こうした装飾をほどこした卵(のオモチャ?)が置かれているのが映っていた。

冬眠からめざめる豊穣な自然をことほぐために、さまざまな色に染められた卵

生まれ育った街を離れ、つらく厳しい冬のような時間をすごしている人たちに、一刻も早く春がやってくることを願った。

ウクライナ侵攻を受けて、往年の映画「ひまわり」が再上映されることになったという記事を読んだら、あの有名なひまわり畑のシーンがウクライナ南部のヘルソン州で撮影されたと書かれていた。

「ひまわり」の舞台は「ソ連のどこか」というくらいにざっくりと考えていたので、「え、あそこウクライナだったの?」と驚いた(この映画の再上映を伝える朝日新聞の記事には、「へルソン州(当時はソ連の一部)」と書かれている)。

この映画は、2年くらい前にアマゾンプライムで観た。

「不朽の名作」ということになってるけど、若いころの2人の行動があまりに行き当たりばったりすぎないか、という気もしたけど、さすがに最後のひまわり畑のシーンはすばらしいと思った。

とにかくひまわりが地平線の向こうまでつづく絵ヅラが圧倒的。

今回のウクライナ侵攻に関連した報道で、ウクライナのひまわり油生産量が世界シェアの3割(ロシアと合わせて6割)を占めることを知り、「ヘルソン州」という地名を聞くと、この映画のひまわり畑の映像が最初にアタマに浮かび、種を絞って油にするカットになり、最後はペットボトルに詰めたひまわり油が世界中に輸出される映像が流れるようになった。

ひまわり油は使ったことがないので、それを使って料理している場面は出てこない。

オデッサも「ソ連のどこか」だと思っていた。

「ソ連」の映画監督、セルゲイ・エイゼンシュタインが1925年につくった「戦艦ポチョムキン」という映画の中に、どんな映画の教科書にも載っている「オデッサの階段」という超有名なシーンがあるから。

これだけ有名なシーンになると、ブライアン・デ・パルマ監督が「アンタッチャブル」の中で丸パクリしても立派な「オマージュ」ということになるから不思議。

それはそうと、「戦艦ポチョムキン」は、ロマノフ朝の圧政に対して立ち上がった民衆がロシア革命を実現し、共産主義国家を樹立したことを描くプロパガンダ映画。

その約100年後の2022年、共産主義国ロシアの圧力に屈するものかとオデッサの人々が立ち上がっている

英国の大学で学んでいたころの仲間に、ヤーナというウクライナ人女性がいた。

口数は少ないけど、人が集まる場にはひんぱんに顔を出し、とても静かに、しかしユーモアにあふれた口調で、しっかりと自分の意見を述べるところが印象に残っている。

誰かの部屋で持ち寄りパーティをやったとき、ノロノロと食器を洗っている知り合いの隣でササッと食器を洗い、水切りラックに大きさの順にきれいに並べたところ、「見よ! これぞジャパニーズ・クオリティ!」と(やはりこれも物静かに)ちょっとだけ声を上げ、こちらに微笑みかけたヤーナの柔らかな表情はいまでもよくおぼえている。

しばらくすると、つねに穏やかな印象を与えるヤーナの中に強靱な意志力が秘められていることが分かった。なにしろ学期末の試験が近づくにつれて、学生ラウンジで顔を合わせるたびにグングン痩せていったから。

ってことは、連日寝ないで勉強しているんだろうなと推測するわけだけど、「いや〜、もうここんところすごいタイヘンで〜」みたいな言葉はまったく出てこない。

いつも通りに学生ラウンジに顔を出し、いつもの通りに、もの静かにみんなと過ごし、しかし会うたびに着実に痩せていく。体全体のシルエットだけでなく、頬のラインも変わっていく。

そんなヤーナを見ていると、疫病や飢餓から人びとを救うべく、土の中に埋められた高僧がミイラ化した即身仏のことを思い出した。

そんな強靱な意志力をはっきりと目の当たりにしたのは、ヤーナを含む総勢4人でダブリンに旅行したときのこと。

早朝に車で出発し、(なにしろ全員お金がないから)ダブリンの街中をひたすら歩き回り、宿にチェックインした後にどこかで食事をしようという話になった。

ダブリンに来たからにはこれが食べたいとか、この店は味はよさそうだけどちょっと高いとか、あっちの店はコースにするとこの料理も付いてくるぞ、みたいなことを話しながら、レストランをあれこれ物色。

これがとてつもなく長い。

こっちとしては、「もうとにかくヘロヘロに疲れてるから、とりあえずここで何か食べようよ」と口にしたいところ。でも、ヤーナがいつも通りにもの静かに、しかしキッパリと「いや、あそこの店も見てみよう」と言うのを聞き、さらに「もう1つの店も」と歩き出す姿を見ると、「ヘロヘロに疲れてるから」なんてことを言うのは人間として最低なのだという気がしてくる。

「この違いは何なのだ? 体力? 気力? その両方?」みたいなことを何度も考えながら修行のように歩きつづけたこと。その後、ようやくありつけた食事がとても美味しかったことは覚えているけど、結局、何を食べたのかは思い出せない。

そんなわけで、ダブリン旅行を機に、穏やかで柔らかいヤーナの印象が、じつはかなり怖い「鉄の女」に寄ってきた。ウクライナの人って、みんなこんな感じなのか?

試験が終わり、長い休みがやってきて、例によって静かに、しかし順調にリバウンドするヤーナを見ていると、向こう側に行きかけた即身仏が蘇ったように感じた。

* * *

行ったつもりになっているウクライナ「ソ連のどこか」ではないウクライナ、そして勝手に思い描いたウクライナの人

そんなこんなを重ね合わせながらウクライナ情勢を伝える報道に触れていると、春の訪れとともに豊穣の大地に命の卵が芽吹くように、あるいは学期を終えたヤーナが日に日に丸くなっていったように、すこしでも早くウクライナに豊かな時間が流れる日がやってくればいいなと心から思う。


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