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光る君へ(8)サスペンスと伏線・大河ドラマで学ぶ脚本テクニック

大河ドラマ「光る君へ」が面白い。ということで、「「光る君へ」で学ぶ脚本テクニック」と題した動画を作っていくことにしました。動画といっても内容はスライドとテキストなので、noteにも載せていきます。今回は第8回の学びポイントです。
歴史の知識や「源氏物語」については一切触れませんので、予めご了承ください。

今回の学び

第八回は特に面白かったと思います。「傑作」と言ってもいいのではないでしょうか。

とりわけ素晴らしかったのは、サスペンスを作り出す脚本と、それを盛り上げる演出でした。

ということで、学びポイントは「サスペンス」「伏線」「暗示」この3つです。

サスペンス

サスペンスとは「視聴者を宙吊り状態にしてハラハラ・ドキドキさせる作品やシーン」のことです。

もう少し詳しく説明すると「生きるか死ぬか、伸るか反るか、やるかやられるかなど、差し迫った状況に登場人物を追い込んでおきながら、巧みに決着を引き伸ばし、焦らして視聴者の気を揉ませるワザ」という感じでしょうか。

今回最大のサスペンスは、まひろが道兼と初めて対面するシーンです。

これがサスペンスになるのは、道兼が「真実」を知らないからです。過去に殺した女の娘がまひろだということに、彼は気づいていません。

もちろんまひろは、それを知っています。ですから同席している父・為時は、まひろがいつ「人殺し!」と叫ぶかと気を揉んで、目を泳がせます。

私たちも為時と同じ気持ちで、「いつまひろが秘密をバラしてしまうか」と、ハラハラ・ドキドキします。もしまひろが叫べば、真実を知った道兼が何をするかわからないからです。

しかし、まひろは叫ぶことなく母の形見の琵琶を奏で、「母は病で死んだのか」と問う道兼に、一言「はい」と答えます。

結局、道兼は真実を知ることのないまま、まひろの家を後にします。

このシーンは、サスペンスとして素晴らしいだけでなく、伏線回収と暗示表現でも唸らせるものがあります。それらについては、後で説明します。

もうひとつのサスペンスは、道長が直秀を「盗賊では?」と疑うシーンです。

これも、道長が「真実」を知らないという状況がサスペンスを生んでいます。視聴者は「いつ直秀の素性がバレるか」とハラハラ・ドキドキするわけです。

サスペンスといえば刑事ドラマですが、それで例えると、まひろと道兼は、真実を知る被害者と、相手が被害者だと知らない犯人、道長と直秀は、容疑者を問い詰める刑事と、嘘ではぐらかす犯人、という感じですね。

さらにもう一つ、サスペンス的といってもいいのが、倒れて昏睡する兼家のシーンです。

兼家が死ねば内裏のパワーバランスが崩れ、登場人物たちの運命は大きく変化します。しかし兼家は簡単には死にません

この「引き伸ばし」がサスペンス的です。

ここまで挙げた三つのサスペンスのうち、道長と直秀のシーンだけ、ラストに決着がつきます。盗賊を捕らえた道長は、その顔を見て、自分の疑念が正しかったことを知ります。

キッチリとしたオチを与えつつ次回につなぐ構成で、たいへん見事だと思います。

伏線

次は伏線です。
伏線とは、カンタンに言うと「ほのめかし」のことです。ただ、すぐバレる「ほのめかし」は伏線ではありません。

ずっと後になってから「ああ!あれは伏線だったのだな」と初めて意味がわかる「ほのめかし」。これを物語では「伏線」と呼びます。

「伏線回収」という言葉がありますが、伏線は回収とセットだという説明のほうがわかりやすいかもしれません。

第八回で伏線回収されたのは「琵琶」です。

第一回で、子供のまひろは母にこう言います。
「母上は琵琶を弾かなくなりました」
母はそれに答えてこう言います。
「父上の官職が決まったら、お祝いに弾きましょう」

結局 母は琵琶を弾くことなく 道兼に殺されてしまいます。
ですから、これまで琵琶には「母の形見」という、「モノ」としての意味しかありませんでした。

しかし今回、母のかたきである道兼の前で、まひろによって演奏されたことで、琵琶に新たな意味が生じました。

その意味は、なかなか一言では表現しづらいのですが、「まひろの恨みを表現する楽器」とでも言えばいいでしょうか。

逆に言えば、今回の演奏シーンを作るために、物語に琵琶が導入され、じっと出番を待っていたということです。

劇作家チェーホフは「舞台に銃を出したなら、それは発砲されなければならない」と言ったそうです。まるで銃の引き金を引くように、まひろは琵琶の弦を弾いた。そう考えるのは、少し穿ち過ぎでしょうか。

暗示

さて、最後は暗示です。
このシリーズ最初の動画で説明しましたが、第一話で逃げた小鳥はまひろ自身を、鳥籠は彼女を取り巻く世界を暗示しています。

また、籠の中と外、どちらが幸せかというセリフは、彼女自身の迷いをあらわしています。

第八話には再び この小鳥と鳥籠の暗示が登場します。

最初に登場するのは、直秀とまひろの会話の中です。
少し長いですが引用します。

「都のお偉方は、ここが一番だと思ってふんぞり返っておるが、所詮都は山に囲まれた鳥籠だ」
鳥籠…」
「俺は鳥籠を出て、あの山を越えて行く」
「山の向こうの海があるところ…」
「一緒に行くか?」
「…行っちゃおうかな」

次に登場するのは、道兼とまひろが対面した後です。
父・為時はまひろが秘密を守ったことに対して礼を言います。

その時、二人の後ろに鳥籠が映り、そこに、昔逃げた小鳥とそっくりの小鳥がやってきます。

小鳥はすぐにまた、どこかへ飛んでいってしまいます。

以上2つのシーンが、第一回と同じく、幸せは籠の外にあるのか、中にあるのかというまひろの迷い、もっと言えばこのドラマのテーマを暗示していることは明らかだと思います。


最後までお読みいただきありがとうございました。
今後も、こんな感じで学びポイントを取り上げていくつもりです。

背景画像:
From The New York Public Library https://digitalcollections.nypl.org/items/510d47e3-fe62-a3d9-e040-e00a18064a99

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