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研究へのモチベーションは何か?

社会人が研究をするにあたり、そのモチベーションは何でしょうか?

社会人が研究活動に従事する際のモチベーションは多岐にわたります。一般的に、これらのモチベーションは大きく二つに分類されることが多いです。:一つは純粋な学問への興味から、もう一つはキャリアの転換や向上を目指すためです。理想的には、前者に関する議論を展開したいところですが、実際には後者の動機で研究に取り組む方々も少なくありません。
 
私自身も含め、常勤正規職員(公務員、企業等)にいたにも関わらず、更新もない期限付き教員など不確実な将来に賭ける決断を下す人々がいます。本稿では、社会人が研究を行う動機に焦点を当て、具体的な事例を交えて考察を深めていきます。
 
ここで、私がnoteで「社会人のための研究術」を執筆するに当たり、様々な経験をした方々の事例を元に、モチベーションについて考えたいと思います(注1)。

事例1 Aさんの場合

大学は都内の私立文系大学だったのですが、就職時に地元の某県庁に就職しました。東京で働きたいと思っていたのですが、まだ公務員の人気が高く、都庁や特別区(23区)の試験は難しく模試の成績も芳しくなかったのです。国家公務員については、大学でキャリア/ノンキャリア(当時の区分)の方とも出会ったのですが、それぞれの悩みを抱えていたのがわかり大変だと思い、これは田舎に帰って公務員したほうがいいと思って県庁一本に絞り、合格しました。
 
県庁は退職するまでの10数年間、務めました。モチベーションという話ですが、入庁時、”なんとか一高”などの出身者のみの集いがいくつかあり、まず県庁がいくつかの主要県立高校の出身者が多いということに驚きました(私はそこを落ちて無名私立高に進学しました)。さらにいくつかの大学でも同窓の県庁◯◯会と言うのがあり、私はそれらの大学の出身ではありませんでした。田舎なので◯◯人事というのもあったと思いますし、◯◯部長は部活の先輩だ、など嫌になるほど聞いてきました。そこで冷静に考えたときに、そのような関係性が乏しい私は仕事で勝負しないと生き残れないので、勉強しようと思ったのがきっかけです。
 
当時は県庁による派遣で大学院(修士)に行く制度がありました。しかしやはりその試験勉強となるとなんとか一高→トップ大学出身の方が成績は優秀で勝ち目がない。優秀な方は総務省のプログラムに合格して海外大学院まで行く人もいたのです。とても勝ち目がないので、そのような庁内公募ではない、自主的な進学をしようと考えました。時期については、新採から15年目くらいまでの人事の流れを見ると、入庁5年前後から2、3年は出先に行くローテーションということを理解し、その出先期間中に修士号を取ろうと決心しました。
 
勉強したい気持ちだけで何をするかが未定でしたので、情報収集として様々な行政系の学会に参加しました。色々な研究者と出会ううちに、私のような素人の質問にも丁寧に対応していただける尊敬できる先生と出会いました。よってそこの大学院に進学しました。つまり、何かを学びたくてというより、その先生の研究室に入りたくて、先生の研究領域を選択したのです。また、その先生のゼミは遠方の自治体職員も多く、様々なことで配慮がある情報も事前に分かっていました。そして大学院に入学したのですが、出先機関での勤務ということもあり、ある程度時間があったので、有給休暇と土日を使って論文を書き上げました。ここは非常に恵まれていたことで、本庁や企業等の激務で修士号を取ろうとする方とは比べ物にならないほど時間が取れたと思います。
 
大学院では様々な出会いと仲間、先生方と出会いました。これは後々の人生で価値化していくのですが、もっとも大学院に行ってよかったことは、”勉強から研究をするという思考”になることはどういうことか徹底的に学べたことです。これはその後の人生でも非常に役立ちました。
 
さて、修士論文は政策系で取得しまして、修了式に出席しやり遂げた充実感がありました。妻も妊娠していたので仕事をしつつも、研究はペンディングして子育てをしっかりやろうと思っていました。研究は生涯かけてやるものだと思っていましたのでまた時間ができたらやろうと思っていたのです。
 
ところが、ある出来事があり、私は年度途中で非常に忙しいところに異動しました。それは少し予想されていたことです。悪い意味では後ろ盾(同窓会や県庁OBや場合によっては議員等)がないので、イレギュラーで業務が厳しいところに行かされそうだと(これが田舎ではあるのです)、出先で楽をして修士号を取ったくらいだから大丈夫だろうと思われるのです。良い意味では幹部クラスでは一定割合、属性が良くなくても煌めく仕事力で上り詰める方がいるのですが、配属された課はまさにそのような方が経験した登竜門と言えるところでした。
 
異動してからはまさに地獄でした。当時の県庁は忙しかったのですが、それでも月残業は閑散期で100時間程度、議会があっても200時間は超えない残業時間でした。しかし、そこは次元が違いました。どう考えても一人でする仕事量ではありません。隣の席の先輩も同様です。隣の席が何をやっているのかわからないくらい忙しく相談もできないのです。
 
膨大な国からの調査、市町村との調整、県庁内でも様々な調整、金曜日の夕方調査依頼が来て月曜日回答ならばまだまし。土日も膨大に仕事がある状態です。出産の立会いもできませんでした。そのような家庭の事情は全く考慮されませんでした。いや、言葉では「今日くらい休みなよ」と言われても、その休んだ仕事は誰もしてくれません。休んだ時間に大量の仕事が積み重なります。特に国相手の仕事は過酷で、予算や決算、会検などの国の役人との膨大な調整、そして議員には相手に時間を合わせる必要があり、自分のペースで仕事をするというのはなくなりました。早くて終電、いやそれどころかタクシー代は出ないので自家用車で通勤することが暗黙の了解となっており、帰宅する気力がない場合は職場や駐車場内で疲れを取りました。
 
どのくらい忙しいかというと、月200時間残業なんてザラですから、家に帰れないのです。もう周りは家庭崩壊、離婚くらいならまだましで、病んで休職/退職する方も多く、その補充で私が呼ばれたようなものですが、過酷でした。あまりに仕事に集中せざるを得ないので、家族のこととか自分のこととか考えられなくなるのです。よく本庁で、数日風呂も入れずに着替えもないため異臭が漂う人がいたと思いますが、その気持がわかります。汚れているとか匂いとかという感性まで捨てて仕事しているのです。そのような状態が数ヶ月続き、ある日県庁から駐車場まで歩いていると、夜の11時位でしょうか、車の前に子どもを抱きかかえた妻が立っていました。開口一番「ほら、パパよ」「あなた、この子を見て、こんなに大きくなったのよ」
 
私は涙を止めることができませんでした。妻もこの仕事の厳しさや大変さを分かっています。だから何も言わなかったのですが、見ない間にずいぶん大きくなった子どもを見て、この成長を見ないままの人生は、いくら仕事ができたとしても価値がないと思いました。
 
それから、大学院の指導教官に相談しました。私が良かった点は、恩師に相談できる、恩師の紹介してくれた同様のルートを進む先生を教えてくれてネットワークが広がったことです。和田先生と出会ったのもそうでしたね。皆さんにいくつか相談していくうちに、今の状況に自分は適応できないことを確信し、これ以上、県庁を続けることはやめようと思いました。今では民間企業や他の自治体への転職は多々あります。しかし当時は研究者くらいしかキャリアが想定されない状況でした。
 
そのため、Jrec-in(注2)で大学教員に応募をしたのですが、落ちまくりです。ところが、今では若い方には応募してはいけないと助言する、「いつも欠員で募集している期限付き教員」の公募が目に付きました。大学の附属機関(◯◯センターなど)であり、あまり学務の負担がないということだけが利点でしたが、そこは採用されたのです。その採用後のまた違う大変さは別の機会に譲りますが、期限付きの採用であっても、それでもあのまま続けるよりは良いと思って応募したのです。その後の転職活動は困難を極め数十以上落選しましたが、それでも家族ともう一回頑張ろうと、あのときは思ったのです。
 
研究のモチベーションは私のように学閥がないなどの劣等感でもいいし、転職のモチベーションは今の環境が嫌でも逃避でもいいのです。自分の人生の決定権は自分にあります。自分で逃げる決心をした。振り返るとそういう決断ができたのは修士号を取ったからだと思います。出先機関であったけれども、仕事しながらもがきながら修士号を取った。それができたのだから、県庁をやめてもなんとかなるのではないか。根拠がなかったのですがなんとかなると思えたのです。修士号を取るのは大変です。その間に休めたり遊べたりもできたのですから。でもそこで出会った方々と培ったスキルはかけがえのない財産であり、まさにそれが再び立ち上がって新しい道を進もうという自分を鼓舞してくれたと思います。皆さんも自分のやりたいことが研究だったのならばやりましょう。ぜひこのnoteの記事で出会いがあるといいですね。
 
この方は、その転職先が壮絶ブラックだったのですが、県庁時代よりかはマシという公務員出身研究者に良くある特性で乗り切り、苦労しつつも現在はその分野では著名な大学の常勤教員として勤務しています。このnoteの執筆を支援してくださる研究者の方々の一人です。如何だったでしょうか?
 
研究活動へのモチベーションは個人によって異なります。本稿が示すように、研究は単に学問的探求に留まらず、個人のキャリアや人生において重要な転機を提供することがあります。本稿の事例が、読者の皆様にとって何らかの形での参考となれば幸いです。


(注1)今後も事例を提示しますが、すべて許可を取って記事にします。また特定できないように趣旨は変えずに内容を大幅に変更しています。

(注2)研究人材のためのキャリア支援ポータルサイト 
https://jrecin.jst.go.jp/seek/SeekTop
これについては、マニアレベルで分析しているので後ほど記事を書きたいと思います。
 

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