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【短編小説】私にはソイラテを

ソイラテを注文する女性がいる。

「ソイラテのホットで、トールサイズを。カードで。」

僕は彼女のこのセリフを昨年から30回くらい聞いている。ということは、僕は30回くらい彼女に会っている。彼女はたいてい、20時に来た。20時に来て21時前には帰って行った。曜日は決まっていない。大半はカジュアルなスーツスタイルだけど、たまにジーンズにTシャツやパーカーというラフなスタイルの時もある。

彼女以外にも常連はいる。ほぼ毎日グランデサイズのアイスコーヒーを頼む偉そうなおじさんや、豆だけを買いにくる派手な香水をつけたおばさん、大量の問題集をぶらさげた大学生らしき人。僕はその中でも、常連になりつつある、ソイラテの女性が気になっていた。

続けてくる時もあれば1ヶ月くらい来ない時もあった。(僕のシフトと彼女のくるタイミングが合ていないことが重なっていたのかもしれないが。)

彼女は普通の人だった。ものすごくスタイルがいいわけでも、鼻筋が高いわけでもなかった。奇抜なネイルをしているわけでもないし、ギラギラのジュエリーを身につけているわけでもない。それでも僕は彼女のことが気になって仕方なかった。

彼女は窓際のカウンター席に座るのが常だった。窓際のカウンター席は全部で7席で、その中の特定の場所というわけではなかったが、必ずカウンターの席に座って窓の外をずっと眺めていた。そう、ずっと。窓の外を眺める女性だった。彼女がスマホを触るところを見たことがないし、読書をしたり書き物をしたりする仕草を見たことがなかった。ソイラテのカップを両手で掴みずっと外を眺めていた。

僕が気になって仕方なかったのはその姿をずっと背中越しで見ていたからだ。僕がレジで注文をする時も、ドリンクを作ってお客さんに渡す時も、巡回でテーブルを拭いて回る時も彼女はいつだって外を眺めていた。珍しかった。そうやって外を眺めるだけにこの場所を使う人が。

雨の日。たしかそれは35回目くらいの時。僕がちょうどバイトが終わって帰る頃に彼女がお店に入ってきた。こんばんはと言うとこんばんはと返してくれた。彼女はいつもと同じようにソイラテを頼んで同じ席に座った。僕はそのまま帰ろうと思ったけど、僕はいつの間にかキャラメルマキアートを頼んでいて、そのまま彼女の座っている席まで歩いていた。

「隣いいですか?」
思いの外、勇気のいる言葉をさらっと言っている自分にびっくりする。

「どうぞ、お疲れ様。」
彼女は左の手のひらをすっと横に出す仕草をしてそう言った。

「今日は雨ですね。」

「雨だね。今日はもうバイトは終わりなの?」
僕のことは一応、ここのお店のバイトの子だとは認識してくれているみたいだ。

「はい、さっき終わって。帰ろうと思ったんですけど雨降ってるし、飲んで帰ろうと思って。」

「そう、雨落ち着くといいね。」
彼女は相変わらず、外を眺めていた。外を眺めながら落ち着くといいねと言った。雨音が心なし強くなった気がした。

「いつも何を見てるんですか?」

「え?」

「いや、ずっと、いつも外眺めてるんで。」

「そうね偶然を装ってるのよ。」

「どういう意味ですか?」

「偶然でしか会えない人がいるのよ。」

「その人はいつもここを通ってるんですか?」
彼女は僕を横目でちらっと見て、切長の目に僕はドキっとした。

「さあ、知らない。」

「連絡先知らないんですか?」
少し長めの瞬きをして口角をあげた。その横顔が美しくて魔女のようだった。

「返ってこないと分かっている人に、連絡するほど惨めなことはないわ。」
言い終わるとカップを90度に傾け、ソイラテを飲み干した。

「そろそろ帰るわね、あなたも気をつけて帰るのよ。」

彼女はそう言ってそそくさにお店を出て行った。僕のキャラメルマキアートはまだ半分以上残っていて、雨も止まない様子だった。だけど彼女はいつもより少し早くその場を去っていった。僕はこの場所から彼女を目で追った。彼女の傘は鮮やかなピンク色で広げるときれいな花が咲いたみたいだった。華やかで、雨の中の彼女はより一層美しかった。

彼女はきっとここで大切な人を待っているんだろうと思った。僕が抱いた微かな恋心はあの雨の日に呆気なく流された。何を眺めているかなんて聞かなきゃよかった。

そんなある日。おそらく彼女に会うのが50回目くらいの日。彼女はもうすでにその窓際のカウンター席に座っていて、その隣にはメガネをかけたスキンヘッドのおじさんが座っていた。彼女はそのスキンヘッドのおじさんと話していて、それは今まで僕が見たことのある彼女とは別人の顔だった。彼女は真剣にメモをとり、たまにこぼれるような笑顔を見せた。目尻にたくさんシワが寄って、こんな顔で笑うんだってはじめて知った。スキンヘッドのおじさんは、見るからに彼女の一回り以上年齢を重ねた人で、あまりにも恋人にするのはおかしかった。30分くらいして、彼は先に席を立った。彼女は深々とお辞儀をし最後には握手を交わしていた。彼が先に店をでて、5分後くらいに彼女もお店を出て行った。

それから彼女を見なくなった。1週間、1ヶ月、
3ヶ月と経ち、それでも彼女はこの店に来なくなった。彼女の姿を見なくなったのは僕だけじゃなくて、ほぼ毎日入っているマネージャーも見なくなったと言っていた。そんな彼女の話をしていた頃、メガネをかけたスキンヘッドのおじさんが店に来た。
「ソイラテのホットで。トールサイズを。カードで。」
聞き覚えのある台詞だった。

「お客さんもソイラテ好きなんですね。同じように、トールサイズのホットのソイラテをカードで払うお客さんいるんですよ。頼み方さえそっくりです。」

「あー、夏川さんのことかな?彼女最近来てないでしょう。今忙しいから。また落ち着いたら来ると思うよ。」

そう言って彼は、ソイラテを受け取り彼女がいつも座っていた席に腰をかけて、彼女と同じように外を眺めていた。

それからは、彼女のかわりにスキンヘッドのおじさんが来るようになった。彼は少し早い時間、18時頃にきて19時頃に帰って行った。彼を見かけた8回目くらいの頃に、僕の休憩と彼の外を眺める時間が同じになって、彼の隣に座っていいですかと尋ねた。どうぞと左手を差し出す仕草でさえ彼女とよく似ていた。

「お疲れ様、休憩かな?」

「あ、はい。いつもありがとうございます。あの、夏川さんってお元気ですか?」

「あー彼女ね、元気元気。あーでも今佳境だからね、やつれてるかもねー。僕もなんだけど。もうすぐゲラあがってくるから。」

「ゲラ?」

「あれ?知らない?夏川さん、夏川紫貴さん。小説家だよ。」

夏川紫貴といえば、2年前に本屋大賞にノミネートされた若手の小説家だ。『私の営み』は、フェムテックを題材にした物語で女性特有の体の変化や健康課題をテクノロジーで解決していくベンチャー企業が焦点となっている。ベンチャー企業の社長でもある主人公の女性がかっこよくて、現代の30代独身女性が描く結婚観や、女性目線に開発されていくセルフプレジャーグッズなどが話題を生み、僕が当時付き合っていた彼女の部屋にも置いてあった。

「ということは、あなたは?」

「僕は、編集だよ。こう見えて編集長。彼女とは5年前くらいかなー、会社にアポなしできて。読んでくださいって僕のところに。当時はとんがってたし、100年早いわって跳ね除けたんだけど。その3年後別の出版社で出した本が本屋大賞ノミネートしてて。僕も気になってたんだけど、僕から連絡するのもね、きっといやでしょ。そしたら、ついこの間ここでばったり。僕がそこ歩いてたら走ってきて。お久しぶりですって。びっくりしたよ。」

彼女は、編集長であるこの人を待っていたのか。返ってもこない人に、連絡をするほど惨めなことはない返ってもこない人はこの人だったのか。

「次はじゃあ、、、。」

「うん、僕が担当することになってるよ。僕が彼女を先生と呼ぶことになるとは思わなかったな。次は君のような大学生がテーマになってるから。小説は読むかな?」

「あ、はい。読みます。楽しみにしてます。」

「きっと彼女はここで物語を考えたんだろう。タイトルは、、、」
僕の耳元で彼は囁いた。

「君だけに特別、まだ秘密ね。」
彼はそう言って、ソイラテを飲み干してその場を去っていった。僕はまた彼女に恋してしまいそうだった。

“私にはソイラテを”  著者:夏川紫貴

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