【超短編】第8話 それでも世界は踊っている
午前6時28分。
あともう少しすれば、美和が走って来るはず。
暦では初夏のはずだが、朝の陽光は熱く、舞はもう自分の体が汗ばんでいるのを感じた。
朝練もそろそろきつくなってくるな・・・。
歩行者信号の下で、いつものように友人を待つ。
舞のそばでは、赤い車が停車し、信号を待っている。
横断歩道には、駅へと向かうたくさんの人。笑顔の人はいない。かといって、悲しそうな顔の人もいない。この時間のこの場所の人たちには、表情がない。
自分も、そうだろうか。
強い風がひとつ吹いた。風はまだ春のままだ。心地よい。
舞は目を閉じた。
瞬間、世界が暗闇に包まれる。いや、自分が包んだのか。
せわしなく走る車の音も、無機質な人々の足音も、消えていく。
肌に触れる風の気配も、消える。
舞は静かに目を開けた。
赤い車はもう舞の遠くにいた。
信号が変わるのを待つ人たちが、舞の隣に並んでいる。
舞を撫でた柔らかな風が木々を揺らす。
世界は、進んでいる。
私が止まろうとも、消えようとも。
それでも世界は、進んでいる。回っている。踊っている。
それはとても悲しい。
世界は一緒に終わってくれない。
けれど、それはとても嬉しいことでもある。
舞は、少しだけ気持ちがよくなるのを感じた。
「おはよう」
後ろで美和の声がした。
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