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【超短編】第13話 ネコのスタンプ

とある古ぼけたカフェの中。向田という男が、ノートパソコンを前に頬杖をついていた。表情は冴えない。コーヒーはとっくに冷め切っていた。

彼の本職は看護師だ。今日は非番で、行きつけのカフェを訪れ、内職をしていた。内職というのは、有名なメッセージアプリのスタンプ作りだった。彼は小さい頃から動物のイラストを描くのが好きで、その絵は決して上手いものではなかったが、何とも趣があるということで、たまたまそれを見た同僚から、スタンプの作成をすすめられた。

向田も褒められて悪い気はしなかったので、描画ソフトを購入してスタンプの作成にとりかかった。3ヶ月かかって作ったスタンプは全部で20種類。あとはアップロードするだけのところまでさしかかっていた。

が、向田は最後のアップロードのボタンをクリックできずにいた。その理由は、8番目に書いたネコのイラストだ。

そのネコは、すました顔で正面をにらみつけており、「ジロ」という効果音のイラストが添えてある。完成度自体は悪くない・・・というかむしろ向田自身、満足のいっているスタンプのひとつだ。

しかし・・・このネコが向田を憂鬱な気分にさせていた。

仮にこのスタンプを購入した者がいたとして、このネコをどんな場面で使うのだろう。このネコは本物のネコらしく、こびたところがないように描いた。愛想がないのである。

例えば・・・若いカップルがメッセージのやりとりをしていたとしよう。なにかのきっかけで二人の会話がやや険悪なものに変わってきて、片方がガス抜きのつもりでこのネコを送信したとする。しかし、受信した方はこのスタンプを見てどう思うか・・・。相手が本気で怒り始めたと勘違いしてしまわないか。それくらい、このネコの眼差しが冷たいのである。

彼は、自分のスタンプでみんなのメッセージのやりとりがもっとハッピーなものになって欲しいと願っていた。いや、正確には、作っている最中にははっきりとそう考えていたわけではなかったが、このネコをめぐる考察の中で、自分はそうした願いを持ってスタンプを作っていたことに気づいたのだ。

このスタンプだけ、削除してしまうか・・・

しかし、スタンプが19種類になってしまうのも決まりが悪い。かといって、もう1種類、新しいスタンプを作成するアイデアも気力も彼には残っていなかった。

向田はため息をついた。平日のカフェの客は、向田ひとりだった。

結局、下手の手習いである向田に、この状況を華麗に打開するセンスはなかった。彼は描画ソフトを立ち上げ、効果音を「ジロ」から「ジロリ」に変更し、中途半端な満足感をもってアップロードのボタンをクリックした。

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