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本棚の経緯・後編

 前編・中編の続きです。

 就職する少し前に行った前橋文学館の萩原朔太郎の展示を通じて知ったのが、田端という地名でした。1920年代あたりに芥川龍之介や室生犀星など芸術家や文士が集まっていたという、いうなれば日本版モンマルトル(詳しくは、清家雪子「月に吠えらんねえ」と近藤富枝「田端文士村」を)。芥川龍之介は画像の本棚に好きな「河童」がありますが、なぜか定期的に読みたくなる「歯車」はkindleに入れています。
 正岡子規、小泉八雲、中原中也と、子どもの頃からちょこちょこ文学館に連れられて行った記憶がこの時期から蘇り、20代後半から何かと機会があれば文学館に足を運ぶようになっていました。どこも愛が詰まっているのが文学館ですが、まだまだ行けていないところも多いですが、とりあえず全力で(萩原朔美館長と)前橋文学館、田端文士村記念館、あと金沢好きなので室生犀星と泉鏡花の記念館を推しておきます。
 
 就職してからは、文学館でインプットした交友関係とコンテンツ(文豪アルケミスト、文豪ストレイドッグス、他)を元に再び幅広く読みはじめ、たどり着いた横光利一「蠅」に衝撃を受ける。「機械」「日輪」と読んでいったら同じ人が書いたと思えない文体のバラエティに更に衝撃を受けることになりました。そんなマイブーム中、職場で採用担当だった先輩職員に、安部公房「方舟さくら丸」(未読だった)と合わせてお薦めされたのが庄野潤三(観察力、描写の繊細さに度肝を抜かれる)。彼氏に出会って國分功一郎「暇と退屈の倫理学」はじめ色々借りるもの、岡潔、吉本隆明「共同幻想論」、からの、仕事を通じて感じるもやもやを言語化するために人文科学系の本もごりごり読み出す。が、なんか味気ないと思ってはカミュに戻る(現在進行形)。最近はフーコーが進まないのが悩み。日本語よりも英語の方が読みやすい気がする。

 音声と説明のための味気ない言葉に疲れた時は、朔太郎、北原白秋、そして古本屋で運命の出会いを果たした「ムーンライダーズ詩集」。関西と大学の空気が恋しくなった時は、森見登美彦「太陽と乙女」数話を頓服しています。研究室時代、超人的な洞察力をもつ友人から学部時代に言われた「もーんは一番この世界を生きている」をふと思い出して読んだのが「恋文の技術」で、その時は学部時代に読まなかったことを大変後悔したものの、逆に社会人になってからは、作品を読むとちょうどいい温度のノスタルジーに浸れるように感じる。とてもありがたい。

 というところで、また帰国した暁には新たにスタメンを揃えて記念撮影したいと思います。

 

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