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未だ憧れの、数学

 数学が好きで、数式を見るのも書くのも解くのも楽しいんです。ただ、得意にはなれなかった、どころか、ずっと苦手だった。よって片思い相手、ということにしている話です。

 数学の前に算数というものがあるわけですが、これも中学受験で一番苦労した科目。算数の失点を国語でカバーしつつ、社会と理科でどこまで全体を底上げできるか、という勝負だった。その時も、算数は嫌いではなく、なんなら国語の物語文が一番嫌いだった。たまーにストーリーが気に入ることがあっても、そういう時に限って問題はうまく解けなかった。
 大学受験についても似た構図で、数学と化学の計算問題の失点を国語(+地理)でカバーしつつ、英語と生物でどこまで平均点を上げられるか。ここでも数学は、学校の授業も塾のまるで歯が立たない問題の解説を聞くのも、嫌いではなかった。国語は今度は論説文がつまらなかった。なお、男女の心の機微多めの古文に比べて人生を語る系が多い漢文が好きだった。

 さて、数学/算数が本格的に好きになったきっかけはH.M.エンツェンスベルガー「数の悪魔」です。数学者の名前がたくさん出てくるストーリーが楽しいし、ベルナーのイラストが色合いや風合いがちょうどよくて、特にパスカルの三角形が触ってみたくなるようなブロックでできていて印象に残っている。数字・式で、イメージを説明できたり、数字の並びの中にも世界が広がっていたり、というのを感じて面白かったような気がする。素数を知って暗号にもしばし興味をもった。あるある?

 高校の数学の授業も、教え方が特別上手だからというより、数学好きすぎるのが滲み出ている感じの先生だから好きだった。たまに非ユークリッド空間とか、リーマン予想とかその他の未解決の分野とか、数学ネタを雑談で話してくれることがあって、その度に一瞬でも数学科を目指したくなったもの。進学校ゆえさくさく進んでいってしまうところ、時々「あのね君たちね、」と、ほぼ単元終わりかけの高三になっても、微分・積分のそもそもの概念を、黒板にたくさんグラフを書きながらおさらいしてくれるのは本当に助かった。ついでに行列はめちゃくちゃ実用的で楽しいもの、というのも刷り込まれた。塾は塾で、いくら問題に歯が立たなくても、鮮やかな解法とかそのアプローチの美しさ、みたいなのは実感できていた。ただ、それでも結局のところ、暗記でカバーしているところが多すぎたのかもしれない。
 大学の必修科目の微積分で苦しみ、本格的に暗記で乗り切ることになり、ここでやっと、中高時代にいかに自分が理解していなかったか、分からないところを分かっていなかったか、ということに気付いた。なお、熱力学の数式もテストは厳しいものがあったが分野自体には興味をもった。後々実験手法上勉強し直すことになり、その時になってやっと腑に落ちることだらけで。一体何に面白さを感じていたのか不思議である。エントロピーだけではないはず。

 ただ、数学への片思いを一番強く認識したのは、無謀にも自分の研究で数学モデルを使ってみる挑戦をした時。身近には詳しい人がおらず、本屋で吟味して選んだデビット・バージェス「微分方程式で数学モデルを作ろう」という入門書と使いなれないグラフ作成ソフトに向かって格闘してみていた。結局、論文には全く使えない代物だったし、研究において本質的に重要なものではないと自分でも頭の片隅では分かっていた。それでも、仮説を元に実験データをフィッティングさせる式をたてるという作業が、新しい言語を知ったようにただただ面白くて夢中になった。

 つまるところ、数学の問題が解けなくても数学の魅力を感じることは多分できる。ただ、得意ならきっともっと愉しく奥深い世界が待っているということ。切ない。

#数学がすき                        

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