見出し画像

美術館の歩き方

コロラド州のデンバー美術館とニューヨークのMoMAが現代美術メインでも大いに楽しむことができたので、改めてアート鑑賞について書いてみます。

大学時代から、隙あらば美術館・美術展をチェックしていて、見たいものがあれば遠征も厭わない。仕事を除いて東京に住む一番のメリットはこの文化芸術に触れる機会の豊富さ。周るタイプなら関西にも来てくれていたけれど、それでも感覚として東京の半分くらいだろうか。学割がある時は隙あらば無料で入れる美術館に寄り道し、カップルを見かけては、山田五郎さん並みに語ってくれる人とデートできたら楽しいだろうな、などと考え、それを好きなタイプを言い合うシチュエーションで言ったら軽く引かれた。

脳をフル回転させながら見る舞台芸術とはまた別で、美術館・美術展でアートに触れるのは、自分をチューニングする機会になる。運動習慣のある人がルーティンの中で自分の状態を知るのと似ているのかもしれない。と思ったけれども、フィジカルよりメンタルの状態を観察するという点ではマインドフルネスに近いかもしれない。

アートを見ながら考えているのは、
・ 惹かれるか嫌悪感をもつか、スルーしてしまうか
・ それはなぜなのか
・ これは何を表現しているのか、作者は何をしたいのか
というのが主なところ。過去に複数作品を見たことがある作者であれば当てられるかゲームをしたり、展覧会の目玉になっている作品があれば、それはなぜか自分なりに分析したりも。ただ、メンタルが元気な時はこの嫌悪感の分析まで冷静にできるけれども、そうでないときはただエネルギーを吸われてしまうので逃げ出したくなる、か、怒りが湧いてくる。(これは舞台は余計顕著で、座席にいると前者の選択肢がほぼないので内心煮えくり返っていることも。)だから疲れているときは好きなものを観るに限る。逆に、あまり期待せずに行って好きなものがたくさん見つかると、多少のフィジカルな体調不良は回復するくらい元気になる。米国で現代美術に触れるときは割とこのパターンなのが面白い。

そんな風に自分と対話しながら美術館を歩き回っていると、何となく今の自分のやっていること、時間を割いているもの、と、やりたいと思っていること、理想形との差のあるなしが見えてくる、気がしている。それは具体的にモチーフとして描かれているとかではなく、どちらかというと感じ取った作者がやりたいこと(合ってるかは知らんで推測)、価値観といったところとの共鳴の有無からだと思う。誰かに伝えたいくらい尊いと思っているものは何なのか、こだわって何年も研究し続けるくらい気になっているものは何なのか。今自分のやっていることはそこに向かっているのか。間違った方向に頑張って進んでいないか、進んでいそうならばどこから修正できそうか。そんな調整に、自分の中から出てくるものだけでなく、アートとの対話が不可欠というわけなのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?