村上春樹の長編小説に「国境の南、太陽の西」という作品がある。
主人公の僕(ハジメ)はバーを経営している。
順風満帆の人生だったが、そこに小学生のころに出会った島本さんという女性が現れて、、、という内容なのだが、今回は小説本編のストーリーには踏み込まない。
この作品には、村上春樹の経営哲学が描かれている。
村上春樹は、早稲田在学中に「ピーターキャット」というジャズバーを経営していた。
経営自体は順調だったみたいで、小説家にならなければ今頃経営者として活躍していたかもしれない。
そしてこの作品では村上春樹がどのように思考してジャズバーを経営していたかが、主人公のセリフを通して伝わってくる。
今回はそんな村上作品を通して、経営の本質について学んでいきたいと思う。
※引用文は一部太字と改行を加えている。
本質を見極めて投資する。
経営者は日々采配をとっていく。
それは今あるリソースの配分を決める作業と言い換えることもできるかもしれない。
主人公は凡人と天才を見極める目があった。
そして価値ある人材を手放さない努力を払っていた。
まずは物事の本質を見極める。
そして必要なところには思い切ってリソースを割く。
そのメリハリをもった経営判断が大切なことなのかもしれない。
顧客のイメージを明確にする。
主人公は店のコンセプトを決める際に、まず顧客を具体的にイメージして、そこから逆算して組み立てている。
顧客のイメージをより具体的にイメージすることがなにより大切なのだ。
またそういった具体的なイメージを「いくつもいくつも考える」というところもポイントのように思える。
2、3パターンくらいの具体的なイメージなら凡人でも持つとは思うが、村上春樹はきっといくつもいくつもその具体的なイメージを持っていたのだろう。
そのような想像力と粘り強さは、村上春樹の小説家としての才能と切り離せるものではないように思える。
空中庭園を創る。
僕はカフェに行くことが好きだ。でもなぜわざわざカフェに行く必要があるのだろう?
珈琲を飲むだけなら、自宅で十分なはずだ。
料理だって、材料費をかければ自宅の方が豪勢なものをつくれる。
それなのになぜ僕たちはわざわざその場所に行くのか?
人はみな「空中庭園」を求めているという表現は非常に秀逸だ。
そこはあくまで日常と切り離されていなければならない。
映画のワンシーンに入り込むようであったり、架空のドラマに出演しているような体験を多かれ少なかれ人は求めている。
人は日常に高い金を払わないが、特別な体験には高い金を払う。
その特別な体験はまるで映画のセットのような「空中庭園」において演出されるのだ。
人を観察する。
そしてもうひと作品。
「ねじまき鳥クロニクル」という作品において、お店を経営する叔父さんが経営を語っているシーンがある。
やはり村上春樹は多くの人を詳細に観察してきた結果、店の経営も小説家としても成功してきたのだろう。
そして自分の目でしっかり見ていくことの重要性。
それは特別なことではなく、誰にでもできることなのに多くの人はしようとしない。
しかし、この誰にでもできることがなぜ皆できないのか?
その問題のひとつに「アカウンタビリティ問題」があるだろう。
作家の山口周は「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」においてアートの重要性を説いている。
村上春樹は人を仔細に観察し、そこからイメージを膨らませるという「アート」によってジャズバーの経営者としても、小説家としても成功していった。
ちなみにこの通行人を観察するエピソードは、実際に村上春樹自身が「村上さんのところ」において、読者の質問に回答するかたちでも語っている。
店を経営するのも、本を書くのも。
今回は村上春樹の経営哲学について紹介させていただいたが、いかがだっただろう。
店を経営するのも、本を書くのも、なにをするにも、本質的な共通点はかならずある。
村上作品にはものごとの本質をつく言葉が多く詰まっており、僕はその言葉を大切に抱えながら生きている。
そして僕が店を経営する時には、自戒の意味も込めてこの記事を読み返そうと思う。
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