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僕の好きなビートたけし

ビートたけし/北野武が好きです。

テレビでの活躍は残念ながらほとんど観ていないのですが(90年代前半生まれなので)、著作はかなり読んでいます。今でもたまに、「こういう時にたけしだったら何て言うか」「どういう行動をとるか」と意識することがあります。

キドカラー大道さんがTwitterでたけしの言動を振り返っています。これは日常でのことだから同様のシチュエーションで以前「たけしだったら?」と考えた「答え合わせ」になります。けっこう当たっていてすごく嬉しくなる。

具体的なことはまったく知らないし、本の内容もいちいち覚えていないけど、もっと根本的なことです。たけしファンで、以前やっていた番組のコントの内容をすべて覚えているような人に対して殿が「変わってるな~」としか言わなかったとか、こういうのも思っていた通りだった。僕はテレビをまったく観てないのに自信が湧きました。

うまいものがあると「これうまいな、お前らも食え」と分ける。外での食事は殿がすべておごる暗黙のルールに関して当時、思っていたこと。しょうもないことだと、殿があんかけのあんが嫌いなエピソード。僕もあんかけとかドレッシングが嫌いだから知ってよかった。そういえばアメリカでサラダにかかっていたドレッシングのことを「ゲロすっぱい」と表現していたのを見たことがあります。なんか食事でのことばっかりだ。笑

キドカラーさんは水道橋博士とものすごく仲が悪い。仲が悪いというかキドカラーさんが一方的に博士を罵倒しているように見えるけど、キドカラーさんの発言じたいはおそらく正しい。軍団を脱退したから直接的な弟子ではないですが、自分のことを弟子だと言っていて、かねてより私淑している僕も弟子として認められた気がしてきました(最近は本を読まないし以前より意識しないですが)。そういう意味で、キドカラーさんはたけしの真の後継者として爆笑問題の太田光や、劇団ひとりをあげていますが、僕も同じことを考えていました。

僕は大学の時に、爆笑問題と伊集院光の深夜ラジオをよく聴いていたけど(ここでもキドカラーさんの意見とシンクロした)、たけしの後継者、日本の喜劇人の系譜?の流れにある気がするからかもしれません。作家の小林信彦さんが評価しそうな人を僕も好きな気がします。残念ながら小林信彦さんの著作は読んだことがありません。

僕の単なる好き嫌いですが、僕はキドカラー大道さん側に立ちます。

僕は創作をする時にギャグのショートショートが書きたいのだけど、SFとか科学的なこと学問的なことをよく持ち出します。たけしが以前、「これからはお笑い芸人といえどホーキング博士みたいな科学者と対等に話せなきゃいけない」と言っていたからです。たけしには対談集も多いけど、こういうことを意識してるからだと思います。

たけしは実は勉強家なのに、全然勉強しなかったと自分の努力を隠すタイプです。僕はそう思います。理数系だけど、文学系にも力を入れようとしていて、バイク事故の時に病室でたしかドストエフスキーだったかを弟子に朗読させてみたみたいなことを本で書いていました。確かこの試みはあんまりうまくいかずすぐに辞めてしまったようです。大学に入るまで読書をしたことがなくて初めて手に取ったのが夏目漱石の「坊ちゃん」だったとか、僕も受験に関係がないと活字の読書ですらいい顔をされなかったから、ものすごく共感します。たけしは親からの呪縛にずっと悩まされていたみたいです。だから家出同然になって大学を辞めて芸人になってしまいます。僕はここまでの冒険はできないですが・・・・・。

事故前のバラエティ番組の動画を見たことがあるのですが、なにかの例えに「トルストイ」を出していてこれはまったく的外れだと思いました。とにかくたけしの昔の発言や行動を見ると文学を意識してコンプレックスじゃないかというのがちらほらあります。大学の時に「朝日ジャーナルの時代」という分厚い本を読んでいたら、過去のたけしによる吉本隆明批判の記事があっておもしろかったです。80年代に当時の知識人と呼ばれていた人たちをパロディにしてしまい、権威を壊したというのはたけしの罪だとは思います。テレビは確実に日本人をダメにしたし。これは本人もまったく同じことを言っていました。

それから30年近くたち70を過ぎて、最近は純文学を書き下ろしたり、作家としても意欲的に活動する姿勢を見せています。これはものすごいことだと思います(教祖誕生などはゴーストライターらしい)。読んでないので何も言える立場になく申し訳ないですが・・・・・。こういうところが大好きで僕も本を読もう、映画を観よう、音楽を聴こうというという気力になります。

たけしは今や、とっくに世界的な映画監督だけど、これは彼が天才だからという言葉だけで片付けられるでしょうか。たけしの映画は観る人が観ればかなり模倣があるようだし、描いた絵画を見ると、東洲斎写楽の模写だったり、どこかで見覚えがあったりします。たぶん陰でものすごく勉強しています。こういうのを安易にパクリと言うなかれ。そもそもパクッて何がいけないのと思います。誰も批判ができないくらいのものを作り出せばいいじゃないですか。すぐにパクリだと批判する人は、何事も模倣から始まることを知らないだけだから、無視していいです。

僕はたけしはテレビでメジャーになった時からずっと映画を撮るつもりだったと思っています。「戦場のメリークリスマス」以前からかもしれません。「その男凶暴につき」は、刑事ドラマの「太陽にほえろ」と逆のことをやってみたみたいなことを言っていました。僕たちはテレビドラマで見るしかないけど、彼はテレビ局に常にいるから、誰よりもそれらが身近にあります。裏話だって聞けます。彼は10年近く貪欲に観察しつづけてきたんだと思います。彼が大スターだった頃、いったいどれだけの経済的な効果を生み出したのかと思うけど、そんな彼をつくるのにいったいどれだけのお金がかかっているんだと考えます。数十億円というレベルじゃないと思います。これは計算してみるとおもしろいかもしれません。言わばたけしは映画を撮ったり、生き残るために何百億もかけて勉強していたのと同じ、彼が漫才ブームが去り、その後、教養系のバラエティを企画しだしたのも、自分のための最高の勉強の環境を作り出すためだと思っています。こういうのはそういう一面もあるというつもりで書いてます。これが絶対的な理由ではもちろんないです。

何百億もかけて一時代のスターをつくってもほとんどは消えてしまったり、影響力がなくなると思うのに、自分のおかれた環境をいかに自分を向上させる勉強のために利用するか、これが他のタレントとたけしの違いだと思っています。いまやたけしは世界に誇れる、100年たっても名前が残る日本を代表する偉人です。

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