「だから言ったでしょ」を敢えて作る

「だから言ったでしょ」と思った経験はありますか?普通、誰かを教育する立場の時や、子供のやらかしに対して思うことがあるかもしれません。

今回は私の子育てでこの「だから言ったでしょ」の状態を敢えて作ってることを書こうと思います。

自分の原体験

私の原体験から、「学び」とは座学(情報)のみの場合ではなく実践(体験)とのセットで深く得られる、という事が分かってきました。私の場合は特に「やっちまった」という経験から強い学びを得ました。

やっていたラグビーチームでは日本一を目指していて、チーム参加当初の先輩方には「日本一に足るプレーとは」を色々と教えていただきました。ただ経験も浅く今から振り返ると「知ったふり」をしていただけだな、と思います。練習の中で少しずつ「こういうことかな」と試してみて先輩方の反応を見る日々でした。

一番学びを得た場面は「日本一のその先の試合」でした。当時はクラブチームで日本一になると大学日本一と日本選手権で試合が出来ました。その日本選手権で勝つことをチームとして目標にしてましたが、その試合で「この差が必要だったのか」と痛感し、「先輩方が見えていた景色はこれか」と感じた覚えがあります。

そのような経験を重ね続けて、いつか後輩に教える立場になり、この経験を大一番では無い場所でどう体験してもらうか、を模索することもありました。試行錯誤なので上手くいったりいかなかったり。

「学びのサイクルを回せる子供を作る」が私の最終テーマとなった原体験でした。

目指す子供達

私の子供は小学5年と3年でスキーを頑張ってます。それぞれ「オリンピックで金メダル」を目標に日々鍛錬してます。

※実力があるか、本当に行くか否かは戦略、時の運など要素多数でここでは論じません。

親としては「目標に向かって自ら振り返りを行い学び行動を起こす」ことを体得してもらうことが大切と感じています。その意味で子供に目標を持ってもらうのはラッキーでした。(どうやって目標持たせるのかは、狙ってやってますがまた別の機会に)

「だから言ったでしょ」の状況を作る

これはそんなに難しくないです。おそらく誰でも体験したことのある状況なのでわざわざ書くまでもないとは思います。

端的に言えば「その人にとって到達すべき視座の“あるべき姿”で語る」です。子供に対しては生まれた時から「新卒教育だと思って」接してきましたし、今の目標なら「世界チャンピオンのアナタは10年前の今のあなたを見てなんと言うと思うか」を問いにしてきました。(私は日本チャンピオンは複数回なりましたが世界チャンピオンは無いので一緒に考えよう、という立場です)

そうするとどうなるかと言うと、アドバイスした時は「何のことか分からんが何回も言われてる」体験をします。例えばスキーではレースの前にイメージトレーニングした方が良いですが小学校1年の子供にやれと言ってすぐにちゃんとできる子は少ないと思います(できる子もいると思います)。

成長と共に子供の口から「やっぱりちゃんとやっておけばよかった」「イメトレ大事だね」みたいに言う時が来ます。親からしたら「ずっと前から言ってるでしょ」という状態の出来上がりです。

それでどうするか

ここでやっちまいがちなのが「だから言ったでしょ」と本当に言っちゃうことで私の中では禁忌事項としてます。

教育って面白くて、「気づくやつは言わなくても気づく。気づかない奴は言っても気づかない」は真理だと思います。

「だから言ったでしょ」の状況も同じで、こっちが言うことにプラスは無いなと思ってて、「どう感じたか」の問いによって自分の口で言ってもらう事が大事だと思います。言えなかった場合も、親としては慌てず急がす、その時出た言葉を尊重します。

いつか必ず、子供は「痛感する」経験をします。その時が早くなるように親の仕事は「痛感」の環境と機会を作るのみだと思ってます。

まとめ

「いつまでも学びのサイクルを回せる人間にする」事だけにフォーカスし、良い師匠に巡り合わせるところまでが親の仕事だと思ってます。

再現性高く成長させるための「だから言ったでしょ」を敢えて作る。ご参考になれば幸いです。

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