気になるコトバ③ーーー「〜の方向で調整」

振り返れば、コロナに翻弄された2020年だった。

それでも、個人的には1月11日に新国立競技場での大学ラグビー選手権の決勝を観戦に行ったことは、いま思うと遠い昔のようだけれども、行っておいて本当によかったと思う。

東京オリンピックは中止になったし、コロナ禍もいつ収まるかわからない現時点では、この先、スポーツ観戦はするかもしれないけれども、国立競技場に行く機会はないかもしれないもの。

ダイヤモンド・プリンセス号での感染拡大から始まった日本でのコロナ禍は、感染の拡大につれて、国民を恐怖におとし入れ、その対応をめぐって、政府、自治体が右往左往することになって、年末を迎えたいまでも、その混乱ぶりは報道の通りだ。

さて、政治用語というか官僚用語というのは、以前から取り上げられることがあって、「前向きに検討(=実は放っておく)」とか、ウラの意味があったり、コトバは大層だけれども、中身がないとか、なにかと槍玉にあげられる。近年では「当たらない(=そのとおりだけど、認めない)」「お答えを差し控える(=言質をとられたくないので、何も言わない)」「推移を注視する(=とりあえず見とく)」などが加わりましたね。

さて、学校一斉休校、緊急事態宣言、給付金の支給、飲食店への営業自粛要請、不要不急の外出自粛要請、そしてGoTo事業などなど、これまでなかった対応に追われることになった政府、自治体のコロナ対策についてのリリースで多用され始めたのが「〜の方向で調整」というコトバだ。

主語、目的語がはっきりしない。「誰が何をいつまでにどう調整」するか、つまり5W 1Hがまるでわからない。したがって「〜と思ってますけども」ぐらいの意味しか持たない。「お答えを差し控える」とおんなしで、「責任とりたくないからここは玉虫色にしておこう」というニュアンスに満ちている。

で、こういう予防線を張った物言い、まあ、「忖度的物言い」といってもいいかもしれないけれども、そういう雰囲気が、メディアにも移るし(報道だからそのように言わざるをえない)、メディアを通して、われわれ市民にも移るのでしょう。

「おためごかし」という言葉があるけれども、相手のことを考えているようで、じつは自分第一、という物言いが増えてきて、「そうは言っているけれども、実は???」という腹の探り合いみたいな会話に疲れてしまう。「単刀直入」「率直」な会話なんていうのは、いずれすたれてしまうのではないかと心配しているこの頃です。




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