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お姉さんと美穂さんの生活の話

ものごとには何でも流行りがあるが、近頃のメインストリームはやはり「満たされた生き方」な気がする。
「満たされた生き方」の定義はものすごく曖昧で、それこそ人によって違うものだから難しいが、近頃の漫画やドラマでは、特に女の人の生き方を描いているものが多いと思う。
結婚しなくても、恋人がいなくても、好きなものと関わって(食べる、作る、見る、表現するとか)日々を生きていく。
その生き方に憧れ、羨み、共感する人が多いからこそ、近年のメインストリームになり、多くの漫画やドラマが生まれているのだと思う。
今放送しているセクシー田中さんはまさにそういう物語だし、以前書いていた凪のお暇や、妖怪シェアハウスも、同じカテゴリに入るのではないだろうか。もっと他にもある気がするが、あまりその方面に明るくないので一旦ここまでにする。

満たされた生き方の、一番リアルでわかりやすく、想像しやすいモデルは阿佐ヶ谷姉妹じゃないかと思っている。
彼女らは新しい生き方の指標を示したのではないだろうか。
これまでの、少なくとも阿佐ヶ谷姉妹が注目されて二人の生活が書籍やドラマになる前、2018年くらいだろうか、それまでの「結婚しない選択をした女の人」とは、「仕事ができる、メンタルが強い、美しい、かっこいい、きりっとしてる」人のことを指す言葉だったように思う。例えるなら凄腕弁護士役の天海祐希さんみたいなイメージ。
阿佐ヶ谷姉妹が示したもの、現在進行形で示している「結婚しない選択をした二人」はどうだろうか。
「のんびり、ゆっくり、絶世の美女じゃなくていい、近所にいそうな普通さ、お金をたくさんもってなくていい、穏やか、好きなことをして、嫌なこともあるけどそれなりに楽しい」という、突出したところは特にない、ないけどそれでいいよね~という、何ともゆるく、ぬるく、そして優しく暖かい生き方を体現しているような気がする。

人間は常に、何かに属したい気持ちを持っていると、何かで読んだ気がする。名前のないものは怖い。得体が知れないから。

今現在、2023年に至るまで、結婚しない選択をした人たちは様々な呼び名があった。結婚するしないにかかわらず、「女はクリスマスケーキ」と呼ばれ、20年前には女性作家が30歳を越え独身の己を負け犬と呼んだ本がバカ売れした。同じ時期くらいだろうか、もう少し後からだろうか。「天海祐希さんみたいな人」という包括的なイメージ・呼び方ができた。(肌感覚なので間違いがあると思います)
結婚しないということは、仕事に生き、常に組織では上のポジションを目指し、人に頼らず、甘えず、自立して弱音を吐かないということだ!
みたいな、天海さんの出ている「フィクションの登場人物」を、さも「現実世界で実現可能な、目指すべきもの」として崇め奉っていたように思う。(繰り返しますが個人のイメージ・感想なので絶対そうとは言い切れないと思います。)
負け犬と、強い人。
どっちにもなれない、なりたくない人は少なからずいたのではないだろうか。
周りから「負け」の烙印を押されるのは嫌だけど、かといってそこまで強くなることはできない。
でも、どちらかを選ぶしかなかったのではないだろうか。
人間は何かに属していないと不安になるから。自分の属性を表す名前がないのは怖いから。

そんなときに(だいぶ間は空いたけど)綺羅星のごとく現れたのが阿佐ヶ谷姉妹である。
自分たちを負け犬と卑下することもなく、強く美しくかっこいい女性のフロンティアというわけでもない。ニコニコしてて、ちょっとドジで、普通のおばさん。
負け犬と呼ばれ馬鹿にされたくはないけど、天海さんのような強さと美しさは自分には難しい。そういう人たちをすべてすくい上げる、魔法の存在が阿佐ヶ谷姉妹と言えるのではないか。

「結婚しないんならせめて仕事すごく頑張らないとね」
「結婚もしない、恋人もいないなんて枯れてるよね~、負け犬じゃない」
今まではそう言われた時、唇を嚙みしめ愛想笑いで同意してきたかもしれない。時には唇から血を流すこともあったろう。でも今は伝家の宝刀がある。

「いえ、私、阿佐ヶ谷姉妹みたいな暮らしがしたいんですよ」

これだけで、自分の所属するカテゴリが明確にされ、仕事に粉骨砕身せよとうるさい人間やこっちを馬鹿にして見下してくる人間を一網打尽に薙ぎ払うことができる。
阿佐ヶ谷姉妹の存在の、なんと尊いことだろう。

先に「どこにも突出していない」と書いたが、彼女らは、幸せを感じる、楽しいことを作り出す才能は抜きんでていると思う。
本人たちがどう感じているかは知りようもないが、身の丈にあった幸せと、手に入るくらいの目標に向かって、頑張るけど頑張りすぎずに生きているように見える。
もっともっと、と高いところを目指す気持ちは皆あると思う。その向上心はとても大切で、それがあるから人は変わり、進化や発展がある。
けれど、豪邸ではないけど、狭くても居心地のいい部屋でいい、自分が築いた家庭がなくても、自分で仲をはぐくんだ友達がいたらいい、一人でさみしいこともあるかもしれないけど、ひとりでいい
というように、今自分が持っているものを楽しむ、大切にできる人はとても強いと思う。
阿佐ヶ谷姉妹は、その「持っているものを楽しむ」ことがとてもうまいのではないだろうか。向上心がないわけではないけど、今あるものを大切にする、足るを知るという、シンプルながらとても難しいことを体現している気がする。

どっちがいい、どっちが秀でている、どっちが正しいとかの話ではない。どっちでもいい。
自分がこれがいいと思える方を取ればいい。どっちかだけじゃなくてもいいし、いいとこどりをしたっていいと思う。結局満たされた生き方は自分がどう思うかに全てがかかっているので、まずはこれでいいと思うところから始めてみる。

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