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秋の空はもはや女心だけではない

 家族関係、夫婦関係、恋人関係について、現代を生きる我々は、純粋なお互いを思いやる心でしか人間関係は構築することができなくなった。夫婦とはこうあるべき、家族とはこうあるべき、男はこうあるべき、女はこうあるべきといった外的な枠組みが無くなりつつある。そうすると、恋人関係において、家族関係において、それぞれの人の担う役割は無くなり、演じるモデルがなくなっいく。そうして、我々はもっと人間関係において、恋人関係において、家族関係において、形式や伝統的にしばられず自由になった。女は女らしく、男は男らしくということを意識する必要がなくなった。しかし、言い換えればそれは我々は人間関係において個々人の想いしか頼るものが無くなってしまったとも考えることができる。
 例えば、恋人関係であれば、2人の関係は(実際には2人だけでない可能性もある)2人の想いによって、2人の不断の心理的な努力によってしか成立しなくなった。それは、純粋で美しいものとされるかも知れない。しかし、その関係はとても脆いものだ。女心は秋の空とはよく言ったものだが、それはもはや女心だけに当てはまらない。男女関係なく、何人にも共通な事柄になった。誰もが不安定な秋の空を生きている。そして、この時代に生きる限りその不安定さは一生続くだろう。この不安定は、結婚をしようが、子どもができようが全く関係ないことである。我々は一生、秋の空の下を生きていくのだ。それは、恋愛関係だけではない。全ての人間関係にいえることだろう。家族関係から友人関係、その他の人間関係にもあてはある。
 我々は人間関係をはじめとする様々な形式や伝統からの自由を求めた。先人たちは近代以降、それを目指して多大な努力を重ねてきた。しかし、それは広大な海原に地図なしで挑むことと全く同じことだったのである。自由を手に入れた瞬間、我々は不安定さを突きつけられることになったのだ。

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