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醤油の歴史

今日も数ある投稿の中で私の投稿をご覧いただきましてありがとうございます。ちょっとシリーズでご紹介している「お醤油」についてです。

普段何気なく醤油は口にしていると思いますが、その歴史の奥の深さを知ると今までと醤油の見方が変わるかもしれません。

醤油には塩漬けの技術が必要不可欠で日本人の食生活は塩と共にあったと言えそうです。この歴史の流れを見ると中国の食文化とも密接であることも再認識できそうです。

日本での醤油のはじまり

日本での醤油のはじまりには諸説ありますが、特に二つの有力な説があります。一つは中国伝来説でもう一つは日本独自に考えられたという説です。どちらが本当かというのは議論の余地がありますが両方交わっているのかもしれません。まずは両説を紹介します。

中国伝来説

日本「醤油」という言葉ができたのは室町時代と思われていますが、それ以前にも醤油の前身と思われるものとして「醤(ひしお)」というものがあるそうです。「醤(ひしお)」とは広義では塩漬けのことだそうです。
当時、「醤(ひしお)」には

肉醤  ・  魚醤  ・  草醤  ・ 穀醤  ・ 唐(から)醤

等がありそのうちの「穀醤(こくびしお)」の一つが醤油ではないかと言われています。
この「醤(ひしお)」という言葉が出てくるのは飛鳥時代(701年)に定められた「大宝律令」だそうです。
大宝律令はWikipediaによると、681年に天武天皇が律令制定を指示したそうですが、先駆的過ぎて日本の国情に合わず修正が行われて701年に完成したものだそうです。

この大宝律令の宮内省の組織の一つとして宮中の食事を扱う大膳職(おおかしわでのつかさ)の部署の一つに「主醤(ひしおのつかさ)」という役があり、独立して「醤院」と呼ばれ、製造、管理をしていたそうです。
ここ出てくる「穀醤」が醤油や味噌の前身だったようです。

一方、中国では紀元前800年前後に周王朝の文献「周礼」に「醤」(ジャン)」の文字が初めて現れ、西暦500年頃に孔子に食習慣として「醤」(ジャン)」を使っていたことが書かれています。

飛鳥時代に聖徳太子(574年ー622年)が始めた遣隋使(けんずいし)の派遣で随(ずい)との盛んな交流や朝鮮半島にあった新羅・高句麗・百済の3つの国との往来が頻繁でその文化が入ってきました。
その中で塩漬けにする技術、発酵する技術があったのではないかと推測されています。輸入品としての「醤(ひしお)」があったことも分かっています。
この輸入品の「醤」(ひしお)」を作る技術が次第に日本に定着して国産の和製醤(ひしお)が製造され、大宝律令が発令するころには、宮中にその役所が置かれる程になっていたのではないかという説です。

日本独自説

日本独自説では過去に発掘された弥生式土器の中にから麦や黍(キビ)等の穀物と塩とが一緒になって固まったものが見つかっています。ちなみに弥生時代は紀元前1,000年~西暦300年頃です。

これは、弥生時代の穀物は長持ちするし、塩も溶けないで済むという塩漬けの技術を見つけだして、生活の中に根付かせたのが始まりと考えられています。これに穀物についた微生物や空気中に微生物が作用して「穀醤」に近いものが生まれてきたのではないかと考えられています。

これを踏まえた醤油の略史は以下の通りです。

醤油の略史

醤油の歴史は日本の歴史と共にあると感じます。

紀元前800年前後:周王朝の文献「周礼」に「醤」(ジャン)」の文字が初めて現れる初めて現れる。

西暦500年頃:孔子の言語録「孔子」に食習慣として「醤」(ジャン)」を使っていたことが書かれている。

350年頃(弥生):日本の弥生人によって穀物を塩蔵していた形跡が現存している。(「醤」(ひしお)の原型のようなもの)

西暦500年(飛鳥):現存する中国最古の農学書「斉民要術」に黒豆を作った「醤」(ジャン)の作り方述べられている。

西暦500年(飛鳥):中国から日本に「醤」(ひしお)が伝来したようである。

701年(飛鳥):大宝律令に「主醤」という官名がある。

903年(平安):日本最古の辞書「和名抄」(わみょうしょう)に醤の和名「比之保(ひしほ)」であると書かれている。

927年(平安):この年に交付された「延喜式」の中に「醤」醸造の例が記されており、京の東市で「醤」を売る店51件、西市で「未醤」売る店32件との記述がある。

1254年(鎌倉):禅僧の覚心が当時の中国「宋」から径山寺味噌の製法が伝え、味噌から分離した液体が「たまりしょうゆ」の始まりとされている。

1487年前後(室町):刊行された「四条流包丁聞書」に「垂れ味噌・薄垂れ」という今の醤油に近い表現あり。

1559年(室町):当時の公家日記「言継卿記(ときつぎきょうき)」に見舞いで「しょうゆう」を使用したとの記述あり。

1597年(安土桃山): 当時の日常用語辞典「易林本節用集」に「醤油」という言葉が初めて現れる。

1640年(江戸): 参勤交代により江戸が大市場となり関東「濃い口しょうゆ」の生産始まる。

1660年代(江戸):関西で円尾孫兵衛により「うすくち醤油」が開発される。

1698年(江戸):近松門左衛門の「曽根崎心中」に醤油問屋登場

1781(江戸)年: 山口柳井の高田伝兵衛により差し込み醤油(甘露醤油)が開発される

1918年(大正):第一次世界大戦後の好景気と技術革新で醤油が一般家庭へ普及

1940年(昭和):統制物資となる。

1942年(昭和):配給統制を受ける。

1950年(昭和):統制が解除され自由競争が復活する

いやー長くてビックリされたか飽きてしまったかもしれません。
でも醤油の歴史と共に日本における”塩漬け”の歴史の長さは新たな気づきがあるかもしれません。今でこそ、塩の取り過ぎは体に危険と言われていますが、その論調は今までの2000年超えの歴史へのある意味、挑戦と言えるかもしれません。
また、日本の歴史の中に醤油は常に大切にしっかりと刻まれていることを感じていただければと思います。

今後も伝統ある醤油の事業継承が、多様な価値観や食文化、日本古来の種が輸出に押されて存続環境が厳しくなっており、伝統的な手法の作り手が高齢化して事業継承が難しくなっていると言った課題があり難しくなっていると思います。

しかし、この伝統ある食品が、次世代、そして22世紀、23世紀までも続いて言って欲しいという気持ちを込めてご紹介させていただきました。

本日の情報も下記サイト及び書籍「しょうゆの不思議」(日本醤油協会)を基に書きました。

またWikipediaの下記リンクも参考にしております。

過去の醤油についての記事は無料マガジンでお読みいただけます。

冒頭の画像はいつもの写真ACから使用させていただいております。いつもありがとうございます。


本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
また次の記事でお会いしましょう!
今週も皆様にとってよい一日になりますように!

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