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『ドライブ・マイ・カー』目を瞑りたくなる過去と向き合うための現代 vol.762

さまざまな賞を取っていることもあり、気になっていた映画だったのですが、ようやく見る気になりました。

主演が西島秀俊ということもあって、好きな俳優だったので見るのが勿体無いなとも思っていたのでなかなか見るに踏み切れませんでした笑。

タイトルだけ見るとなんだかよく分からない映画。

実際に見てみてもその感想は実のところそこまで変わっていないかもしれません。

なんでも原作もあるようでこの映画。

今日は映画『ドライブ・マイ・カー』をみての感想を書いていきます。


舞台俳優で演出家の家福悠介は、脚本家の妻・音と幸せに暮らしていた。しかし、妻はある秘密を残したまま他界してしまう。2年後、喪失感を抱えながら生きていた彼は、演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島へ向かう。そこで出会った寡黙な専属ドライバーのみさきと過ごす中で、家福はそれまで目を背けていたあることに気づかされていく。

https://eiga.com/movie/94037/

心を割って話せない、理解をしようとしない

この映画、要約すると過去から目を背けている2人が出会い、互いに少しの影響とキッカケを与えながら、再び過去を思い返しそこと共存する覚悟を決める映画です。

一言で言ってしまえばただそれだけのものなのかもしれませんが、2人の人生が色濃く表出している点に心を動かされます。

家福は、愛妻である音の不倫には常に目を瞑って彼女との間にできた子どもの死を受け入れているつもりになって生きてきました。

ドライバーであるみさきも母親からDVを受けていた中で、唯一自分の味方をしてくれていた、母親の別人格である人物を見殺しにしてしまい、その土地から離れ生きてきた。

互いに過去にある向き合いたくない事実と距離を置くことでなんとか自分を保ち、自分として生きてきたわけです。

2人は全く異なる人生ではありましたが、境遇は恐ろしく似ていて、出会うべくして出会ったのだとさえ思えてきます。

向き合えない、避けたい

これはその大きさは違えど誰にでもあることだと思います。

見たくない事実を自分の都合のいいように見ずに、向き合わないように生きていく。

当然、それでも生きていくことはできます。

しかし、一度逃げたそれは必ず形を変えてまた自分の前に現れるわけです。

家福もそうでした。

かつての不倫相手が自分の目の前に現れる。

みさきもそうでした。

思わぬところから避けていた出身地に戻ることになる。

それでも向き合わなければ先には進めません。

いわばこれはコンフォートゾーンのようなもので、自分の人生の中で必ず見なければならない部分になるのでしょう。

あなたの持つ車は?

この映画での愛車サーブは、自分の人生そのものを表していたのかもしれません。

拭いきれなかった過去。

自分が見つめて前へ進み出せなかった過去。

そのせいか、家福は読み合わせをテープですることを理由にはしていますが、その車を自分以外のものが運転することを極端に嫌がります。

もしかしたら車は妻である音のことをさしていたのかもしれません。

では、私に取っての車はなんなのか。

話せていない、見つめ合えていない過去とはなんなのか。

そんなことを考えさせられました。

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