教員も勉強する時間が必要だ vol.776
私は教員なので、もちろん授業の前には授業内容の予習をして挑みます。
自分1人が理解していればいいわけではなく、教科書や問題集のどのタイミングで子どもたちがつまづくのか、どこで疑問に引っ掛かるのか、どういった見方をするのかを考えながら予習するわけです。
何度もやったことがある単元などであれば、ある程度は生徒の止まってしまうポイントもわかるのですが、私は今年初めて見る科目が2つあるために、正直やりながら肌感覚で掴んでいくしかありません。
本当にもう少し時間が欲しいなと感じるわけです。
時間がないわけではないけど時間がない
ただ、予習をするための時間を確保できていないわけではないのです。
十分、それを教えるだけの知識と、どのように伝達するのかの道筋ぐらいはしっかりと見えてきます。
しかし、よりわかりやすくその道を舗装してあげたり、看板を立ててあげるというのがまだ力不足であるように感じてしまいます。
例えば、自分は完全に頭の中に問題の解き方が入っていると思っていても、いざ質問が来た時に、あれえっとこれは、、、ともう一度考えないと出てこなかったり。
公式の本来の意味を深いところまで理解できていなかったり。
予習をする時間はあるのですが、どこを及第点にすればいいのかを見誤ってしまい、なかなかそこを突き詰められていないわけです。
本当にそういったところまでカバーするには、意外と大変なものです。
0の知識を10にするよりも10の知識を11にする方がよっぽど難しく感じます。
とはいっても古典物理学
とはいっても、私が学校で教えているのはたかが古典物理学です。
大学の物理なんかと比べ物にならないほど簡単なものです。
それに、物理学のように世の中の事象を公式化していく学問は、時が経っても変わることは少なく、教え方は変われども教える内容は変わらないことがほとんどです。
その分、ネット上にもさまざまな教え方のノウハウが落ちており、いくらでもアップデートのしようがあるわけです。
ありとあらゆる手段はあるにもかかわらず、それらをなかなか手に入れられないのは正直若干頭が回りきっていないところもあるのかもしれません。
教科教育&授業学=
以前も話したかもしれませんが、私に今必要なのは教科教育力もそうですが、それと学んできた授業学を合わせる術。
これまでは中学生相手でしたので、この授業力オンリーでなんとかいき切れている感じがありました。
ただ、学問性や子どもの年齢層が高くなるとどうしてもそれをうまく活用できていない自分もいるわけです。
ここをどう組み合わせてお互いに波長を高め合えるのか。
まだまだ授業の力を磨いていかなければならないんだろうなと感じている最近です。
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