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『嫌われる勇気』ただ今を生きる vol.875

名著『嫌われる勇気』を読みました。

大学生くらいの頃から、周りにどうみられてもいいやと思っていた自分はなかなかこの本を手に取ることはありませんでした。

別に人から嫌われたってその人を変えることはできないと思っていたからです。

それも正しかったのですが、この本の中身はそんなに単純なことで終息していませんでした。

アドラー心理学をベースに人生の意味を伝える哲学とも心理学とも取れる本でした。

この本は嫌われてもいいやと思っている人にとってもおすすめな本です。

今日はこの本を読んでの感想を書いていきます。


今を生きる上で大切なこと

なるほどなと実感できること、自分の生き方に役立てたいなと思うことは山ほどあったのですが、いかんせん情報量が多すぎて処理しきれませんでした。

それでも、自己需要、他者信頼、他者貢献の上で幸福を得られるという大前提となる大きな流れは理解できたような気がします。

そしてそのためには今を生きること。

人はどうしても過去との繋がりの中で今をみてしまったり、未来のためにとどこか打算的な生き方を選んでしまう生き物です。

そんな考え方もあるのでしょうが、そう言った思考には今を生きる上で必要な要素は何一つありません。

事実の連続として今があるという科学的な解釈はできたとしても、自分自身がどう生きるかの意味づけとしては全くもって無意味なのです。

だから、過去にどんなことがあったとしても今を生きている自分自身がどのような選択をするかで全ては決まる。

そこには過去も未来もなく、今があるのみ、今の連続こそが人生というものを作り上げているのです。

人に良し悪しを気にしてしまうのは

個人的に自分の中でしっくりきたのが、自分の課題と他人の課題という点です。

対人関係において問題が生じるのは、自分が人の課題に踏み込んでしまった時か、相手が自分の課題に踏み込んでしまった時という点。

なるほど、そう言った考え方があったのかと納得できました。

私は仕事ができない人、特に年上で仕事ができない人や学んでいない人に対して、強い憤りを感じることがよくあります。

おそらくこれもインナーチャイルドからきている部分だとは思うのですが、それは置いておいてこう言った感情も私が人の課題に踏み込んでしまっているからこそ起きる課題なのでしょう。

誰かのために、共に戦うために、仲間が踏み込んでしまうどこかの課題に自分が代わりに踏み込んでいくということもしていました。

これらも全て振り返って考えてみると、他者貢献や他者信頼のもとにあ流のではなく、ただ単純なる自己受容を必要とした攻撃に近いものだったのかもしれません。

私はただ他者貢献を選択すればいいだけだったのに。

今を生きる

ただ、できるのは今を生きること。

他者貢献をしてそこに幸福感を見出すこと。

とても大切かつ納得のできる内容でした。

ただ、だからこそ世の中でよくみるアドラー心理学をベースにしたスピ系の場所は怖いなとも感じたところがありました。

このアドラー心理学、正直概略は理解できたつもりにはなっていますが、相当体にまで染み込ませたり、この本の中の哲人のように言葉として常に表現できるようになるには相当量の学びが必要でしょう。

それを表面的なセミナーなどだけで数回学んだだけで理解した気になれるとは到底思えません。

これがアドラー心理学を推奨する人を否定する人がいる理由なんだなともなんとなくわかりました。

まずは少しずつの実践。

課題の分離を意識しながら無理に他者貢献をしようとせず、今を生きる。

これを意識していこうと思いました。

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