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加法定理すら消えかけている悲しさ vol.881

今日は模試がありました。

その模試の監督をしていてちょっとショックを受けてしまったことを書いていきます。

数学の監督をしていたので、当然手元には数学の問題の残部があります。

ただ、監督をしているのも暇なので、こういうときには横目で問題を解いたりするのですが、やはり高校3年生ともなると問題も難しくなります。

高2真ん中くらいまではなんとなく頭の中で解法が見えていた数学の問題もなかなか手強くなっていました。


学んだという事実は覚えているとは結びつかない

私は大学在学時に理科の教員免許だけではなく、数学の教員免許も取得していました。

当時はどちらかというと数学の方が得意科目で、塾でも結構数学を中心に教えることが多かったのです。

とはいえ、時間の流れには逆らえないもので大学卒業から7年も経つと数学の知識もだいぶ抜け落ちているようでした。

今日は数学の問題を見たときにcos2θの変形がわからず、2倍角ということがわかっていながら式が出てこない、導出ができないという悲しい事実に直面してしまいました。

曲がりなりにも少し触れていれば物理のように完全には抜け落ちないけど、数学はもはやほとんど触れる機会もなく、手から崩れ落ちていくだけの知識になっているようです。

自分の知恵や知識になっているとは

私は数学の教員免許を持っています。

でもそれはあくまでも資格であって、技術や能力をあらわすものではないわけです。

学んだからと言ってそれが自分の知識になっていなければ、それはもう過去の栄光。

いつまでもそれを自慢話にするのはみっともない話です。

では逆に、自分の知識や知恵として身についているとはどんな状態なのでしょうか。

いつでもどこでもその知見を引っ張り出すことができる。

その知識を組み合わせて思考を深められる。

これが本当に学びを自分のものにできているということなのでしょう。

学び続けるから成長するし、確かな能力になる

当然といえば当然なのでしょうが、改めて実感しました。

どんなことも学び続けるから自分の確かな力になっていく。

一度学んではい終了は、ただ事実してあったということを示しているだけです。

その学んだことを活かして自分がどのように成長していくのか、はたまた誰かと誰かの知恵と結び合いながら新しい価値を生み出せるのか。

学びを自分のものにできているとはそう言ったことを言うのでしょう。

とはいえ、2倍角の公式が出てこなかったのは悔しいですし、数学の知識がここまで衰えているとは思いもよらなかったので、改めて数学の勉強も高校レベルくらいならやりたいなと思いました。


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