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おじいちゃんの話

2021年11月10日(水) 晴れ
横浜市久保山墓地。山の斜面がまるまる墓石で埋め尽くされていて、そこだけ違う国のように見える。舗装されていない道を歩いていると、風に煽られた卒塔婆がカラカラと音を鳴らす。生きている人間の姿はどこにも見当たらないし、食べるものがないからカラスすらいない。誰からも忘れ去られたかのような場所。
俺のおじいちゃんはここで骨だけになった。「久保山で火葬してほしい」と、おじいちゃんが生前に希望したのだ。おじいちゃんはどうやらこの辺りで暮らしていたことがあるらしかった。俺が生まれるよりもずっと昔、俺の母親が生まれるよりもっと昔か。まだ子どもだったおじいちゃん。この山の上から眺める景色が好きだったのだろうか。煙になってさらに高いところから、この街を眺めてみたかったのだろうか。

3枚程度のA4用紙。俺はそれを見た。そこには、残された俺たちがどう動けばいいのかがマニュアルになって印刷されていた。誰にどのような順番で連絡したらいいのか、葬儀会社はどこ、お寺はどこ、喪主は誰が、遺産の分配はどうするのか。それは遺言と呼ぶにはあまりに業務的で、長年勤めた会社を退職する上司が残した引継ぎのようだった。ただ、そのA4用紙こそがおじいちゃんだと俺は思う。子どもたちの手を煩わせず、余計なトラブルが起きないように、自分がいなくなったあとも家族のことを心配している。その事実こそがおじいちゃんの、祖父の偉大さを俺に感じさせてくれた。

俺は父親からそれを教わらなかった。父親であるということ。家族であるということ。偉大であるということ。半分透明のような、いるのかいないのかわからないような父親。いっそいなくなってくれた方が俺たち兄弟も身の振り方がわかったのに、と今だって強く思う。俺は、堂々としていい、しっかりしていい、ということがずっとわからなかった。しっかりしていない父親を超えてはいけないような、父親の代わりになれない兄を超えてはいけないような、そんな気持ちがあった。憧れにも敵役にもならないぼんやりとした何かが、俺を何者にもさせまいとしている。そんな気がしていた。結果だけ言えば、俺は父親を諦めた。父親が父親であることを諦めた。俺は俺がまだ出会ったことのないような、まったく別の何かを目指すしかないと覚悟した。

荒野。俺はそう呼んでいる。自分だけが歩く地平。終わりのない風景。11月、誰もいない久保山霊園はそのイメージに近かったかもしれない。でも俺は知っているのだ。おじいちゃんがいたことを。いることを。俺には父親たる父親がいなかった。でもおじいちゃんがいるじゃないか。あの人だったら何て言うだろうか。わかっている。「元気か?」とにっこり笑って、俺に握手を求めるだろう。耳が遠くなったおじいちゃんは、俺の返事が聴こえているのか聴こえていないのかわからないまま、いつでもにこにこと笑っていた。俺はおじいちゃんのようになっていいのだ。祖父の偉大さを、誇って生きていいのだ。ラッキー。

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