まあちゃんの半生記3

幼稚園に上がるころ、大田区の池上に引っ越した。お姉ちゃんは私立の小中一貫校だったけど、わたしは公立の幼稚園で育った。、

家に何度も電話がかかってくるのを無視しなさいって言われてたのを今ならわかる。借金してた。パパが病気になってから家にお金がなかった。

韓国籍の向こうの人でバリバリ働くのあんまり好きじゃないパパだったから。何個も仕事を失敗した。騙されたりしてもう家にお金がなかった。多分グレー。企業舎弟とかだったんだとおもう。
多分頑張ろうとすごくしてた。さらに借金してママに焼肉屋さんのオーナーをさせて、お父さんは福島でパチンコ屋をやってなんとか家を建て直そうとしてた。単身赴任でパパが家から離れて家庭は崩壊した。
焼肉屋は狂牛病って病気が流行って潰れて
パチンコ屋も結局騙されてたみたいでまた借金した。
その時にお姉ちゃんはぐれて家出した。

もともと女がつよかったママだったけどやっぱり壊れた。
ずっと昼からお酒をかくれて飲んだり、パブロンをずっと飲んで空き瓶を隠したりして
パパは崩壊していくママを見てたくさん衝突してた。ママは結局子供を置いて韓国に帰った。自己愛がつよすぎるママだった。もう母親でいられなかった。

そんな辛い状況になっても昌美が寂しくないように、って
犬を飼ってくれた。コッカースパニエルのラッキー。パパはわたしの育児と仕事をがんばってこなしてた。
グレたお姉もママが帰国したし家のやばさに気づいてその頃帰ってきた。
そこからパパとお姉ちゃんとわたしとラッキーと
パパの舎弟2人とのふしぎな生活が始まった。

お姉ちゃんはマクドナルドでバイトして家にお金を入れてた。
私はまだ小学三年生だったからわからなかったけど、
パパは絶対にみんなの前で弱音を吐かなかった。お金がないとも言わなかった。
舎弟の人とお金がなくても家で毎晩ふたりと楽しく晩酌して、休みの日はラッキーの散歩もたくさんしていつも丸洗いして仕事に行ってた。
金ないのに犬買うあたりの人への金銭感覚バグかよ。わたしが欲しいって言わない子だったけどペットショップですごいラッキーを欲しそうにしてたから、ママもいないし寂しくないように買ってくれたんだよねきっと。

わたしはそんなパパのもとで育ったから、電車でアユ聴きながら金髪で小学校に行ってた。お姉ちゃんの真似してアイプチとかメイクも小学校からしてランドセルださい!って肩からかける109で買ってもらった鞄で通学してた。
それもパパはいいじゃん!って言ってたな。私が気が弱いから。

学校の友達が家に来ると芋をスライスして一からポテトチップス作ってくれたりしたよね。
「分厚くてちょっとほくっとした部分が当たりだよ!ほらこれたべな!」って友達をもてなしてくれた。大癖じゃ。

酔うと絶対
「ニッカポッカ履いてるようなやつとは付き合うなよ!」っていってた。頭が相当柔らかいパパだけどそれはすごく言ってた。なんでやねん。


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