まあちゃん

文章を書いてみようと思います。普段は酒きちです。

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最近の記事

まあちゃんの半生記5

そこからはすべてが目まぐるしかった。 だいすきな愛犬ラッキーは誰だかわからないが父の知人の家族に引き取られてしまった。 たまに会わせてもらえるもんだと思っていたが「犬が混乱するのでやめてください」と絶対に会わせてはくれなかった。 愛する家族を2人同時に無くした。

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    • まあちゃんの半生記4

      パパにはお兄さんがいて、パパとは正反対の頭の硬い人だった。 従兄弟のお兄ちゃんに、この間16年ぶりに会ったら「のぶさん(ぱぱ)には悩みがあるといつも相談してたし、しょっちゅう飲みに連れてってもらってた。かわいいお姉ちゃん紹介してもらったり(オイ)仕事もアドバイスされた通りにしたりするくらい慕ってたんだよ。すごくみんなに愛されてたしすごい尊敬してる。」って教えてくれた。 お手本通りじゃなくても人に愛を持って接するのはパパが教えてくれた。 きっとあのまま生きてがんばってたら

      • まあちゃんの半生記3

        幼稚園に上がるころ、大田区の池上に引っ越した。お姉ちゃんは私立の小中一貫校だったけど、わたしは公立の幼稚園で育った。、 家に何度も電話がかかってくるのを無視しなさいって言われてたのを今ならわかる。借金してた。パパが病気になってから家にお金がなかった。 韓国籍の向こうの人でバリバリ働くのあんまり好きじゃないパパだったから。何個も仕事を失敗した。騙されたりしてもう家にお金がなかった。多分グレー。企業舎弟とかだったんだとおもう。 多分頑張ろうとすごくしてた。さらに借金してママに

        • まあちゃんの半生記2

          わたしが2歳の時パパが突然解離性大動脈解離性大動脈瘤って病気になって一回死んだ。 一度心肺停止するくらいにはやばかった。でもなんとか蘇生して持ち堪えて、 3ヶ月後になんとか退院するまでに脅威の回復をした。 その入院している3ヶ月間、わたしと姉は韓国のママの実家に預けられた。 ほとんど記憶がないけど毎日絶望的に辛かったのだけ覚えている。 ママの実家は女系家族で姉妹が家にたくさんいた。すごくすごく愛を持って良くしてくれたけど、2歳の私は韓国語も通じず人見知りだったのでまず全てが

        まあちゃんの半生記5

          まあちゃんの半生記

          ーーーーー幼少期前半編ーーーーーー 1993.1.22に山王病院で生まれた。天皇も生まれてるところだからまあまあ金持ちだった。 4歳上の姉がいる。ちっちゃいわたしはドラえもんが見たいのに殴られて「笑ゥせぇるすまん見んだよ!わかったか!」くらいの暴論モラハラに耐えてた記憶がある。 まぁそんなどうでもいい話は置いといて うまれてから記憶が少しある1.2才の頃はパパはほぼ家にいなかった。 浮気相手の家に入り浸ってたらしい。 ここで父と母の馴れ初めを聞いてほしい ママは赤坂

          まあちゃんの半生記

          まあちゃんはね、

          どうして私は見返りのない本当の愛を人に与えてあげられないのだろうか。 私を好きでいてくれる都合のいい男とばかり関係を持っては、本気で相手を好きになってしまう前にわざとヒドイことをして壊してしまう。自分が壊れるのが怖くて仕方がないから。 愛し合いたかったのに、自分を愛してくれていたタイミングで愛せない。 そんな繰り返し。上に向かって届きもしない唾を吐いている人生だ。 本当の愛などない。昔からそんなつっぱねたガキだった。 厨二病全開なことを言ったけれど、児童養護施設を出てから

          まあちゃんはね、

          noteはじめてみました

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