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【考えごと】 500円玉1枚あれば


 私は『おなかが空く』という現象には恐怖しないけれど、『おなかが空く』という状況にはとんでもない恐怖を感じる。

 通常、日本に住む現代人は1日3食が基本だと思う。
 私もそのほうがいいと思う。人間いつ死ぬかわからないんだから、まあ好きなものを食べたほうがいいだろう。
 でも、私自身は朝も昼も食べない。食べなきゃな〜とは思う。思いはするけれど、お茶一杯や栄養ゼリーだけで8時間以上勤務していて、夕食だけは夫と食べている。
 拒食症ではないし、なにかしらの思想があるわけでもないし、ハラスメントを受けているわけではなくて、ただ単に日中の『食べる』が面倒臭くてたまらない。
 おなかは空くのだ。
 『おなかすいたな〜』と思いながら、大抵アホほど忙しくなる午後、髪の毛を振り乱して働いていることが多い。そういえばつい最近振り乱す髪の毛が鬱陶しくてやっとばっさり切ることができた。涼しくていいや。
 家庭で、夫がいる状態なら何かを食べることができる。
 晩ごはんだって作れるのだけど、自分には面倒くさくて作らない。
 だからなんとなく常に、意識の端に『おなか空いたな』がある。

 不思議なことに、それは怖くないのだ。

 私が怖いのは、『おなかが空く』という『状況』。
 もっと切り込んでいけば『おなかが空く』という『状況』を打破するために『食べ物を買う』用の『お金がない』ことが怖い。

 日本は資源がない国だけど、人間一人ひとりの技術力が高くて識字率が高いから、人間そのものが資源になっていて、戦後から急激に豊かな国になった。
 諸々の事情や諸々の政治的思想が人それぞれあるとは思うけれど、とりあえず、事実として、この国で餓死する人は滅多にいない。いたらニュースになるくらいセンセーショナルな現象だろう。
 子供を餓死させる外道や鬼畜はいるけれど、大人が餓死することは滅多にない。
 とにかくなんとかはなる。
 この国の福祉システムは整っている。でも、自分から尋ねにいかなくては頼ることはできない。困ったら助けを求めに行くことが大原則になっている。助けを求めに行きさえすれば、概ねなんとかなる。

 大人がこの国で一人で生きていくことは簡単だ。
 極めて簡単だと思う。

 わざわざ細かいことを付け加える必要もないとは思うけど、この『生きていく』は『最低限生きていく』という意味での『生きていく』だ。
 無資格未経験学歴なし職歴なし免許なし50歳が、いきなり福利厚生完備手取り50万円の仕事に就くことは無理だ。あったとしたらよっぽど闇が深い事情があるか、こういってはなんだが『まっとうな』仕事ではない。
 職業に貴賎はない。否定する気もさらさらない。私の今までの仕事だって、見る人が見れば『地獄に落ちろ』くらいのことを言われる。だから私は他人の仕事を否定しない。ざっくり言えばどうでもいい。
 ただ、『ヤバイ仕事』と『まっとうな仕事』はあるだろう。
 それだ。

 生活の基礎は『衣食住』で、直接生き死にに関わってくるのは『食』だ。
 食べなきゃ死ぬ。
 逆を言えば、食べていけさえしたらどうとでもなる、のだ。

 500円玉が1枚あれば、何が買えるか意識されたことはあるだろうか。
 一般的なスーパーに行くと結構いろいろ買える。

 ふりかけの類はひとつ99円くらい。
 塩は1キロで320円くらい。
 ウインナーだって2袋1組で300円くらい。
 お味噌は1パック380円くらい。
 食パンは6枚入りで170円くらい。PBなら100円もしないだろう。
 ジャムだってアオハタの1瓶200円そこそこ。
 紅茶のパックだって50袋入っても300円。

 お米となると、500円では400gで、1キロは買えないが、500円あれば案外なんでもできる。
 2000円払えば5キロくらいは買える。
 お米とふりかけがあれば、とりあえず死なない。
 この国は豊かだ。
 水はタダで飲める。

 最低賃金は、2023年に1000円を超えた。正確には1004円か。
 最低賃金で働いたって、その日のご飯は買える。
 お酒もタバコも、嗜好品や高級品はだめでも、とりあえずその日1日を生きるお金を手に入れることはできる。経歴問わずの日雇いの仕事も世にはあることを知っている。多少の手続きはあるけれど、どこかにはねじ込んでくれる。
 私は以前、ひたすら野菜を袋に詰める日雇いをしたことがある。
 ものすごくものすごく若い頃だ。
 追い立てられるようにして働いていて、おなかが空いていた。
 おっぱいを揉まれても、お尻を触られても、加齢臭が耳の裏からぷんぷんする激臭ヒヒジジイからキスをされても、タバコ臭くても、野菜がへにゃへにゃでまずくても、小麦粉の切れ端みたいなお好み焼きでも、賄いをもらえる分、夜職をしているほうが助かったけれども。

 お金を稼げない大人がどういう扱いを受けるのか、私は間近で見すぎてしまった。
 具体的には、父親がダメだった。
 本当にダメだったのだ。
 それで、ぽろっと突然死んだ。

 お金を稼げない大人に居場所はないのだ、という刷り込みができてしまった。
 もちろんこの認知はバッチリ歪んでいる。

 お金が全てではない。
 細かいことをぐだぐだぐだぐだ言うのは本来好きではないのだけれど、noteでは不特定多数の人が読むからちょいちょい注釈をつけざるを得ない。私のnoteは基本的にエロ記事やエロ小説だけど、たまにこういうこと書いたり写真をあげたりするから、時々全然関係ない層の人が見に来ちゃって、そういう人たちについては私は出来る限りの配慮をするつもりでいる。

 なんだっけ。
 ああそう、お金が全てではない。

 たとえばだ。
 お金にはならないけれど、専業主の方々。
 大尊敬している。家のことをしてくれる人々の頼もしさといったら、他に例えようもない。この方々がいてくれるからこそ、外で働くことが出来る人間がいる。
 この人たちがこの世に居場所がないわけないじゃないか。
 そもそも比較できるものではない。
 あちこちで言っているけれど、『単位』が違うものを比べようとするな。バカがバレるからやめておいたほうがいい。cmとkgを足し算するな。

 すなわち、私の認知が歪んでいるのだ。
 病的に歪んでいる。
 というか病気だ。

 でも、お金。

 お金さえあれば、なんとかなることは多い。
 こればっかりは事実だ。

 私を時給で雇おうとすると、1000円では利かない。
 新卒から働いている人間を、スキル込みで雇おうとすれば、そりゃ大体1000円は超えるだろう。珍しい技術を持っている人ならもっともっと高くなる。
 我が家で例えるなら私も夫もそうだ。

 2人で真面目に1ヶ月働けば、まとまった額になる。

 それは事実だ。
 子どももいない。
 月に何十万円もかかるような趣味があるわけでもない。

 まとまった額を稼げる大人が二人いることは事実なのに、私はいつだって怖くて怖くてたまらない。
 二人ともまとめて職を失ったとしても、失業保険がある。夫の実家もある。保険にも入っている。職を失ったからといって、この世から二人とも弾き飛ばされて、二度とどこにも就業できないなんてことは、いくら不況だといえど、いくらなんでもあり得ないのだ。

 なのに、怖い。

 いつもいつも怯えている。

 去年大病をした。
 入院して手術をした。
 保険や国の制度で支払いは抑えたけれど、体調不良の初めから退院までの総額では結構な額が消えていった。そりゃそうだ。結婚して、いろいろお金が出ていって、貯めていきたいと思っていた時期の体調不良と多額の出費は辛かった。残高がどんどん減っていく、身の毛のよだつ感覚。今も辛い。 
 自分のせいでお金が減った。
 私のせいでお金が減った。
 私なんかに多額を使うことになって、夫はさぞがっかりしているに違いない。
 だからどんなに術後体調が悪くても、寿命が縮んでも、残業は断らない。

 バカじゃなかろうか。
 夫に対して、なんて失礼なんだろう。

 だけどやめられないのだ。
 いつも、夫が私に罵詈雑言を吐いているような錯覚がある。
 『穀潰し』、『クソ女』、『外れ嫁』、『座敷豚』、『ゴミ』、『バカ』、『寄生虫』……。
 幻だ。 
 分かっている。

 逃れようとして働いているのにずっと辛い。

 大人一人が生きていくのは容易い。
 行政にどう頼ればいいのかも知っている。
 自分自身を売るといくらになるかもわかっている。
 この世のどこにも働き口がないなんてことはあり得ない。

 あり得ないのに、不安は止まらない。


 新500円玉があるだろう。
 私は新しいあれのデザインが好きだ。
 好きだし、500円玉1枚のパワーを知っている。

 心細くて、見つけるたびに大事に集めている。
 夫は優しいから、私のそういうせせこましい様子をみて、新500円玉を見つけるとお小遣いとして与えてくれる。

『私たち、ふたりともお仕事なくなっちゃっても500円玉たくさんあるから、お米買えるもんね。大丈夫だもんね』

『いっぱいあるんだよ。いっぱいためたの。だから大丈夫だもんね』

 私は時々、『自分が喋っているはずなのに、自分ではない人が喋っているような感覚』に陥ることがある。小さな子どもが喋るような喋り方だ。それを遠くから見ている感じ。大人になった現在の私がコントロールすることができない、ごく短い時間がある。

 夫はいつも『大丈夫だよ』と言う。
 『俺も働くし、ミズノちゃんが働かないなんてことは、ないと思うよ。俺が止めても、誰が止めても、ミズノちゃんは働くじゃない。今もそうじゃない。』
 何度でも言い聞かせられている。
 事実だと思う。
 私は、どうあっても働くと思う。


 それでも、その子は不安なのだろう。
 新500円玉を握り締めて不安がっている。
 お菓子の缶に一生懸命貯めて、時々不安で眠れなくなって、夜中に起き出して、お菓子の缶を開けて500円玉の枚数を数えている。
 不安で不安でたまらない。
 500円なんか、おばちゃんも、隣にいる髭面のおじちゃんも、一瞬で稼げちゃうよ。
 心配しないでいいよ。
 どこでだって働けるから大丈夫なんだよ。



 つらい。


 その子が『おなかが空いて死んじゃうのが怖いよー!』と、私の心の中でいつも泣いている。小さな子どもの姿でもあるし、ガリガリに痩せている20歳頃でもある。いつも怯えている。

 いつになったら楽になるんだろう。
 いつになったら『おなかが空くという状況を打破する力がある』と自分を信じられるのだろう。
 お金の稼ぎ方くらい、もう知っているのに。

 いつまでも空腹に怯えているその子が、気の毒でたまらない。







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