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いへいの自己紹介

はじめまして。

現在X(旧Twitter)で活動しています。
いへいと申します。

いつもポストをご覧いただきありがとうございます。

本日は、僕の自己紹介とこれまでの生い立ちについてお伝えできればなと思います。




①誰かと居たがる幼少時代〜

僕のこれまでの人生で戦ってきたのは
いつも「不安」でした。

僕は1998年に生まれました。

幼稚園の時は、とにかく人と話すことが好きでいろいろ活発的でした。(今思えばいつも隣に誰かがいた気がします。)

そんなこんなで日々を送る中、小学校4年の時にある出来事が起こりました。それはクラスの男子から仲間外れにされました。

原因としては、自分が起こしたことなのですが、そのことを母親に相談しても母親は何も取り合ってくれませんでした。

その時は非常に辛かったのですが、担任の先生が気づいてくれて授業の合間を縫って、仲間外れにしたリーダーの子と仲直りができました。(この時は本当に辛かったのを今でも覚えています。)


その後、中学に進学しましたが小学校からそのまま中学校に上がる感じだったので特に人間関係で何か起きたことはありませんでした。



②自信がなく友達に依存していた10代後半

そんなこんなで中学を卒業して高校に進学したのですが、出だしに失敗しました。

そう、高校では中学の友達がほぼいない状態でのスタートだったのです。

自称進学校と呼ばれていたその高校ではクラスに同じ中学の女子がいましたが、その時には同じ中学の男子がいなかったため、中学の時みたいに話すことができませんでした。(今思えばすごくもったいないと思っています。)

その中でクラスに友達が少数しか作ることができませんでした。(割合的に女子の方が多かったので)


部活動は小学校からしていたバドミントンを続けようと思いバド部に入ってそこで初めて部活の同期ができました。


今まで友達がいないと自分では何もできなかったのですが、時代は思春期真っ只中。同じ部活で彼女を作ることができました。


初めての彼女だったのですが、当時はすごく緊張してあまり話すことができず、5ヶ月くらいで別れを告げられました。


この頃から女性に対しての苦手意識が強まり、また、自分に対する自信が無くなっていきました。

その頃から人と話すこと自体に苦手意識を持つようになり、クラスの男子と部活の同期以外とはあまり話さなくなりました。



③周りを気にしすぎるようになり不安が尽きない20代前半

これまで誰か近くにいないと何も行動を起こさなかった10代でしたが、大学に進学しても変わりませんでした。


大学は当初は国立大学を目指していましたが、受験に失敗し地方の私立の大学へ行きました。

この時に母は姉と僕を比べ勉強ができる姉と勉強ができない弟という風に比べ始められました。(姉は僕と比べて学業ができていたので第一志望校に進学しました。)


大学では中学の時の友達がたまたま居たためその人と主に行動していました。
そして、大学1年の時のクラスで僕は思い切って自分から話しかけ友達を作ることができました。


何をするにも自信がなかったため、一人で行動することに周りからの視線をものすごく気にするようになり、またサークル活動もゆるくあまり行っていなかったため自信が全くなかったでした。


自分としては、大学に入る前はサークルに入って学業も順調で良い就職先に就ければいいなと思っていました。


が、そんな理想とは真逆の大学生活でした。

そんな中、退屈な現実と将来の不安、そして、だらけた生活から日常がつまらなくなりました。

また、外に出ることが嫌になり周りを過剰に気にするようになりました。


この時は本当に外に出るのが嫌でコミュニケーションを取るのも苦手意識がありました。



そんななか、漠然とした不安と誰かがこっちを見ているような感じが続くようになり、ついに、心療内科に行きました。



④活力がない日々、そしてパニック症の診断


心療内科へ行き続け薬も続ける毎日を送っていました。

この時は本当に外に出ることに対して嫌気がさして仕事以外はずっと家にこもっていました。


そして、周りを気にせず普通に行動できている人がうらやましかったです。


この時の自分自身の心情としては、なぜみんなはおどおどせず、そして周りの人を気にせず歩けているのか疑問に思っていました。


また、職場内でも同じ部署の人たちとは仕事以外ほぼ話しませんでした。社用車の中で一緒になっても何を話せば良いかわからなく今思えばものすごくストレスを感じていたと思います。

そして、事務所の中でも周囲の視線が気になり仕事に集中ができず、事務所の中で作業をすることがめちゃくちゃ嫌で本当に苦しかったです。



この症状をネットで調べると「視線恐怖症」、「社会不安症(対人恐怖症)」、 また「うつ病」と出て虚無感と悲壮感でいっぱいになりました。


この現実を自分が容易に受け入れることができず、また誰にも相談できずにずっと一人で悩んでいた会社員時代が本当に苦しかったです。


社会人2年目となってからは会社の人員不足により自分に重い仕事が回ってきました。当時上司は怖くて心から話すことなどできず上司の機嫌を伺っていたので上司の前ではいつもおどおどし、先輩も忙しそうにしていたので自分の相談を誰にすれば良いのか全くわからず一人で悩んでいました。


そして、その心に溜まった不安やストレスが爆発して会社でパニック症を発症しました。


手足の痙攣と涙が止まらず、また、過呼吸になり人の手を借りないと歩けない状態で結果的に救急車で運ばれることになりました。



救急車の中で救急隊の人に「自分は生きられますか?」と言ったのを覚えております。


あの時は本当に死を覚悟しました。


その後、病院で検査をしましたが特に健康異常はなかったでした。そして、別の病院に行った時診断されたのが「パニック症候群」でした。

それからは食欲も元気もなく心も今までにないくらいの疲労と暗い夜がとにかく怖かったでした。

しかし、徐々に食欲も元気も出て体調も回復傾向に向かいました。




⑤自分のありのままを受け入れ、活き活きとした毎日を送る現在


それから少しの間、薬を飲んでいましたが、薬の量も減っていき、今では薬を飲まずに普通に生活ができています。


薬を飲んでいた時よりも爽快で何気ない毎日にすごくありがたみを感じ、また幸福感も増していると実感しております。



あの苦しかった思いを胸に今生きていますが、前の僕みたいに苦しい思いをしている人たちがいると思うと胸が苦しいです。



そして、僕は前の僕みたいに周りを気にしすぎて心のモヤモヤや不安が溜まって苦しんでいる人たちを少しでも多く救いたいと思い、このノートを書こうと思いました。




長い文章でしたがここまでご覧になっていただきありがとうございました。


これから、こちらのアカウントでは
心の不安や悩みなどのメンタルに関する
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それでは次回をお楽しみください。

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