発達障害の生き辛さの原因分析

発達障害の生き辛さは、「社会性の低さ」による、と私は考えている。

日本人が幼少期から年齢を重ねていく中で、習得すべき不文律や他者とのコミュニケーションを「社会性」として身につけていく。

定型者たちはこれらを系統的に学ぶのではなく、他者の言動やその場の雰囲気から、個々人が察して自分なりに集約・体系化して会得する。

発達特性を持つ者たちは偏った興味関心が災いするのか、これらの社会性を学ぶ機会があったとしても、会得ができず、一定年齢に達した時に要求される社会性を満たせず、定型社会からドロップアウトしてしまう。

もちろん少数の幸運な当事者たちは、自分の特性とマッチした環境に恵まれ、成功者になりうるが、殆どの発達障害当事者たちは自分の特性を自覚できず、社会性が低いまま、一定年齢になると世間に放り込まれ、各所で「適応障害」という摩擦を起こす。

他者に損害を与えたり、自身の心身を消耗したり、引きこもりになったり。究極まで突き詰めると、犯罪の被害者や加害者になるケースもあり得る。

発達障害者の社会性の低さを解消するために、トレーニングや療育・療法を行うことがあるが、効果的な対処法にならないと私は考える。

それどころか、発達障害の生き辛さは拡大し、根深くなっていくことさえある。それは、既存の対処法が質的・量的に足りていないからではない。

そもそも取り組むべき方向性が間違っているのではないか、という仮説に辿り着いた。

そこで、上記を端的に表す公式を考案してみた。※筆者オリジナル

経験率=自己覚知/(体験・知識+技術)
E = a/(k+t)

 経験率とは、一定の体験や知識から気付きを得られる比率を表す。同じ場所で同じ時間を過ごしても、人によって得られる知見が異なるという意味である。発達障害者はこの経験率が定型者より低い傾向にある。

特に社会性という系統化されていない不文律の「空気」と呼ばれる分野において顕著に低いと考えている。

ゆえに一定年齢で習得しておくべき社会性が足りず、周囲と自身にトラブルが頻発する。

発達障害の生き辛さは、経験率の低さが原因の社会性不足と言えるのではないか。

 この公式の通り、今までの人生経験や障害に対する知識は(k)なので、分母を増やしたところで、分子である(a)が同じだと経験率はむしろ低下する。

闇雲に「当たって砕けろ」的経験をしても経験率は上がらないという意味である。当事者が専門家や研究者の書いた本を読んで、いくら知識を増やしても、発達障害の生き辛さは軽減しない理由はこの公式で説明できる。

また(t)は医療や福祉サービス、デバイスやトレーニングを指す。tも分母を増やすことにしか関与できないので、(t)を増やすほど経験率は低下してしまう。

つまり技術で発達障害を解決しようという「医療モデル」の限界を示していると私は考えている。

既存の療法や訓練も(t)に相当するので、根本的効果を期待することは出来ない、という意味でもある。

 では、分子である自己覚知(a)を増加させるためには何をすれば良いのか。

自己覚知とは「おのれを深く知る」という意味である。自己分析や他者との対話によって、自分の長所も短所も含めて受け入れということである。単に自分を知るだけではなく、自己の多面性を自覚するという意味も含まれる。

そのためには「フラットでオープンな対話」が最も効果的であると私は考えている。

近年知られるようになってきた「オープンダイアログ」と類似している。両者の違いは、後者が専門家を交えて行う治療の一環、前者は専門家を必要としないセルフヘルプを指す。


筆者は17年前から後者である自助会(当事者会)を主催してきた。月に一度、発達障害の当事者同士が少人数で集まって、近況報告や困り事などを互いに相談する。

単なる茶話会のように見える自助グループには様々な効果効能があり、過去「セルフヘルプグループ」というテーマで多くの研究者によって論証されている。

特筆すべきは、自助会に自己覚知(a)を高める効果があること。自分以外の当事者との対話を通じて、発達障害である自己を認識することができるようになる。

また、自分の特性と性格を分けて捉えることができるようになり、段階を経て自分の障害を受容できるようになる。

とはいえ、素人の集まりである自助グループが上記のような効果を出すためには一定の条件が必要だと私は考えている。

 ①フラット=同じ立場の人たちによる

 ②オープン=誰もが参加できる会が

 ③長期間に渡って継続開催されていること。

上記3点すべてを満たしている自助会が、発達障害当事者や家族の自己覚知(a)を向上させる効果を発揮することができると私は考えている。

今後、自助グループには様々な役割が求められるようになると私は考えているが、グループの開催年数や規模によって段階的に変化していくと考察している。

〇第一段階:設立~2年程度
10人程度の小規模なピアによる「分かち合いと勇気づけ」
「勇気づけ」とは他者からの声掛けではなく、参加者本人の中に芽生える「生きていけるかも」という希望を指す。

〇第二段階:3年程度経過
グループの存在している地域の社会資源や支援機関の「生の情報(評判や内情)」の交換。
その他、発達障害に関わる医学情報やライフハックなどの共有。

〇第三段階:5年程度経過
支援機関や医療機関等との連携および協働

〇第四段階:10年前後経過
複数グループで運営することで、多様なニース(属性や開催地域、開催時間帯や曜日)に対応する。

〇第五段階:20年以上
全国組織として当事者全体の意見の吸い上げ、および各所(マスコミや行政機関など)への発信や働きかけを行う。

 筆者も自助グループに救われた1人である。17年前、大阪府堺市でみずから設立した自助会のお陰で「生き辛さのトンネル」から脱出することができた。

参加者たちとの対話を通じて自己覚知が深まり、経験率が向上し、数年で定型社会に順応できる程度の社会性を獲得することができるようになった。

とはいえ、決して発達障害の特性がおさまった訳ではなく、凸凹のある自分を受け入れて、自分に合った環境をみずからで選択するようになったからである。

自己覚知が高まれば、上記公式における分子(a)が増えるので、特別なことをしなくても、経験率が向上する。

経験率が上がると、日々の生活の中で、今までは見過ごしていた事にも学びを得ることができるようになる。

この状態で年月を経て行けば、徐々に社会性を取り戻す事ができるようになる、と私は考えている。

また、無駄に思えた過去の経験も、自己覚知が高まると、今を生きる経験値として活かすことができるようになる。

結果として、発達障害の生き辛さは軽減する。

大切なことは、発達特性を変えようとするのではなく、定型社会の価値観に洗脳されている自分の思い込みを自覚することではないかと考察している。

 既存の対処法の中には自己覚知に関与するケースも少ないながら存在するが、それを主眼に置いていなかった。ゆえに充分な効果を発揮できていなかったと言える。

医療や福祉やIoTなどにおいて、当事者が自分を知るキッカケを作ることは可能であると筆者は考えている。

その為に必要なのは、支援する側の人が「当事者目線」「当事者感覚」を持つことなので、地域の自助会や当事者会と連携をオススメする。フラットでオープンな長期継続している会であれば「支援の両輪」となって相乗効果を見込める。

一方で、当事者側の課題は、地方都市において、上記のような機関や団体と関係を構築できるカウンターパートたる会を運営すること。

当事者は支援されるだけの存在ではない。

社会資源として関係各所と連携し、仲間たちを救う事ができる。その為にはシンプルな設立運営ノウハウが必要。詳細は別記。

まとめ

発達障害を社会モデルとして捉える動きがある。筆者はさらに進化した「当事者モデル」を提唱する。

発達障害は治療すべきものではなく、配慮されるべき存在でもない。当事者自身で経験率を上げれば、生き辛さから解放される、という考え方が必要となってくるのではないか。

発達障害を治療する必要もなく、世の中の変革も不要であり、当事者自身の気付きで生き辛さは軽減可能だと私は考えている。

とはいえ、私の提唱する当事者モデルは「当事者の自己責任」という意味ではない。

原因=過失ではないので、自助グループを活用して、個々の当事者が自らを「リカバリー」していくことが、結果としてより多くの当事者や家族を救う鍵になると考えている。

今後、医療・福祉・行政・企業を繋ぐ役割は当事者団体が担うべきであり、当事者側に変革のカギは渡されている。

生き辛さの渦中にある当事者にとって、それどころではないのは百も承知の上で

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