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「東京県民」という言葉の虚しさ

今回は、少し挑戦的な記事になるかと思います(笑)
    「フィクションにマジレスするな!」という意見は是非、    心の中に押しとどめて読んでください。

 少し前に「翔んで埼玉」を見たときに、こんなナレーションが出てきた。
「1871年の廃藩置県によって武蔵国から、重要都市となっていた東京が独立し、同じく開国以来重要都市となっていた横浜が相模国とつながる形で神奈川県として独立。残った部分が埼玉県として残った」

その通りなんだけど、1683年に下総国葛飾郡の太日川以西(現在の江戸川)が武蔵国に組み込まれたんだよなぁ。そういうことはこの作品では描かれないかぁ…しょうがないかぁ。

上記の1683年の一件以前は武蔵国、下総国の国境は現在の隅田川であった。現在も墨田区に両国という地名が残っているのはその名残である。ゆえに現在の江戸川区、葛飾区、足立・江東・墨田各区一部等が下総国~武蔵国へと編入された。それ以後は、「翔んで埼玉」で描かれたように幕末を迎え、現在に至るまで「東京」という名を冠している。

この時江戸川区民である私は思った。

我々江戸川区民がいくら、「東京」を名乗ったところでたかだかその歴史は400年にも満たないじゃないか。それ以前にこの一帯は律令制以来1000年を超える歴史を下総国の名のもとに歩んできた。そんな我々が隣の市川市に向かって千葉などと蔑む行為は、あまりにも滑稽であり失礼ではないか!

ここでタイトルに戻るが、よく江戸川区というと東京都民からは「東京県民」などと揶揄されている。東京でありながら千葉みたいなもんだ!という意である。対して千葉県民(特に市川市)からは大して栄えてないくせに東京を名乗りやがってと言われている。江戸川区は東京・千葉の間で板挟み状態なのである。

ここで市川市が歴史的にどのような地域であるのか、書いておく。下総国府があり、また下総国分寺・国分尼寺を有する下総のいわば「首都」だ。そんな地域に我々は敬意を抱くどころかあろうことか蔑んでいる。この事態は許されまじ。

いまこそ千葉アイデンティティーを高めていこう!

さあみんなディズニーに行き、成田空港から海外に行き、落花生を食べて、千葉ロッテを応援しよう(笑)



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