伊達政宗の周到 日本ただ一つの作例兜から—
(一)
戦国武将中、第一の文藻家は伊達政宗だと私は思っている。直江兼続も当代有数の文人であるが、政宗は尚その兼続を凌いで高い。「文」に於ける俊秀ではその筋目を計る作歌のみならず、通常の文章表現でも斬新であって、かつ気配りに満ちている。自筆書状の残存数は戦国武将中、第一ではなかろうか。
文書の一字一句、一条はまことに重要である。戦国の世界をみごとに渡りきった政宗にとって根本のところ、祐筆は信用していなかった。丁寧な自筆が第一である。大坂冬陣に際して、徳川方に属した政宗は大津に着陣の頃、明日はどの辺りに布陣したらよろしいのか、と、井伊直孝にこれ教えを願っている(上記文書内容)。政宗ほどの老練の将からみれば、直孝などまだ小僧っ子である。しかし、政宗は徳川方諸般の情報を採集して、あの小倅の直孝がやがて幕閣の中枢に坐るであろうことを、既に見通していたのである。
ともかく政宗は念の入った周到な人物であった。そのすぐれた性癖が、武具ー甲冑の細部における「異形」の形で顕著に表出された、珍しい例をつい最近発見した。
今回は次項から述べる件が主題である。
(二)
私は草刈正雄さんがレギュラーで出演する「美の壷(NHK,BS)」に縁があって、日本の歴史とそれに係る甲冑武具について過去に何回か出演したことがある。最近では「月」の特集があって、その次に「兎」にスポットが当てられ、そのいずれにも協力させてもらったが、「月」の時には伊達政宗の甲冑を登場させることになった。
具足についての細かい話は次回です。美の壺で登場し、格好良いとの声を大変いただきました。細部の写真を公開します。
何が日本唯一かというと、兜に刀の「小柄(こづか)」が装着されているのです。
なぜ通常は刀に備わっている小柄が兜についているのでしょう?また次回。
美の壺「月」に関連する話はこちらから。
甲冑にクローズアップした話はこちら。
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