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「松本人志、伊藤純也の性加害疑惑を参考に法治国家において性的同意はどうやって守られるべきか、休職中のおっさんが考えた」

【はじめに】

 「性的同意」というワードがネットニュースでよく見かけるようになった。ダウンタウンの松本人志さん、サッカー日本代表の伊藤純也さんによる「性加害疑惑」が立て続けに週刊誌によって報じられたことによるものだ。

 この報道によって一時SNSなどで賛否両論が沸き起こった。そもそも密室での性行為が同意によるものだったかどうか証明することは難しいし、当事者間の証言が食い違っているなら何が本当かもわからない。しかしながら人気芸能人と、日本代表のサッカー選手だから活動自粛による被害も甚大だ。

 自分としても「同意」していたかどうかなんてどうやって判断すればいいの?と考えてしまう。そこで今回は「性的同意問題」について自分なりに整理して考えてみたいと思う。  


【正しい同意とは何だろう?】

 そもそも正しい同意とはなんだろう?同意を考える上で参考になるのが「インフォームド・コンセント」という概念だ。インフォームドコンセントとは、「医師と患者との十分な情報を得た上での同意」を意味し、患者は医療行為を受ける際に内容について十分に理解した上で、自らの自由意志に基づいて医療従事者と方針において同意する必要があるとする。これは医療倫理から派生した概念で、患者の権利の一つとされる。

 この概念の根底にあるのは近代西洋思想の根幹をなす「自由と平等」という理念だ、インフォームドコンセントを分解すると。

① 医師と患者の間で知識の格差がない=「平等」
② 患者は自由意思に基づいて合意する=「自由」


 であることが分かる。

【同意にはグラデーションがある】

同意の4象限

 「同意」を自由と平等をもとに4象限に分けてみる。すると、同意のグラデーションが見えてくる。

①「完全同意」  両者の関係が平等でかつ自由に基づいた同意 
②「不完全同意」 両者の関係は不平等だが自由に基づいた同意
③「甘受」    両者の関係は平等だが自由がない状態での同意
④「強制」    両者の関係は不平等で自由もない状態での同意

 ここで倫理的に正しく「完全に同意した」と言えるのは①だけだ。特に気を付けたいのは②で自由意思に基づいて同意していても同意者側が内容をよく分かっておらず、錯誤していた場合は完全に同意したとはいえず、内容によっては後からあの同意は詐欺だった、と訴える場合も出てくる。③④はそもそも自由意志に基づいていないので同意しているとは全く言えない。

 しかし、社会的立場や知識量など人それぞれによって差が出るのは当然のことで、どうしても立場の非対称性は出てくる。なら「自由と平等」はどうやって担保されるべきなのか。

【自由と平等を守るのは法】

社会契約説⑴

 人々は自由と平等をどうやって守るようにしたのか?トマス・ホッブズという哲学者が「社会契約説」という考え方を提示した。

 人々はもともと神様に「自由に生きていいよ」と作られた、と考える。その場合、自然状態では人はそれぞれ自分の好きなように生きていいはずだ。この権利を「自然権」という。

 しかし自然状態ではそれぞれの「自然権=自由」が互いにぶつかり合い争いが勃発してしまう。この状態を「万人の万人に対する闘争」とホッブズは呼んだ。この状態では「弱肉強食」になり、力が弱い人の自然権は蹂躙されてしまう。

 この「万人の万人に対する闘争」状態を脱するために人々が結んだのが「社会契約」だとする説を「社会契約説」という。

社会契約説⑵

 社会契約説では人々は自らの自然権の一部を手放し、国民となって国家に税を納め、定められた法律に従う。国家は定められた法律に従い法律違反をする者から国民の「自由と平等」を守る。国民であればどんな立場の人間であっても法律によって「自由と平等」は保障される、という建てつけになっている。

【不同意性交となる8つの成立要件】

不同意成功罪の成立要件

 では「同意ある性交」は法律によってどう守られるのか?日本では「不同意性交」となる8つの成立要件が法律で定められており、この要件のいずれかを満たすか、同意しない意思を「形成・表明・全う」できない状態での性行為やわいせつ行為があったと認められれば「不同意性交罪」として処罰されることになっている。

 今回のことに関して言えば、記事を読む限り真偽はまだ分からないが、松本人志さんの場合は⑧「経済的・社会的地位に基づく不利益」伊藤純也さんの場合は③「アルコール・薬物の摂取」などが当てはまる可能性があるが、両者とも「事実無根」だと訴えているので、法廷で真偽が問われることになりそうだ。

【そもそも同意の上での性行為だったと証明するのは難しい】

 痴漢で起訴された青年が刑事裁判で無罪を主張していく過程を詳しく描いた映画に周防正行監督「それでもボクはやってない」という作品がある。

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「それでもボクはやってない」

 この映画は痴漢冤罪をテーマにした作品で、とくに目撃者がおらず物的証拠も乏しい痴漢事件の場合、被害者の証言以外に信ぴょう性を得ることは難しく、痴漢を行っていないと証明をすることがどれだけ難しいか、克明に描いている。

 今回の松本人志さん伊藤純也さんの場合も真偽はともかく「密室での性行為は同意のもとだった」と客観的に証明することはとても難しいと思われる。裁判をしたからといってすぐに決着がつくかどうかは分からない。ちなみに「三審制度」といって、判決に不服であれば3回まで裁判を行い、判決が正しかったかどうか審理を繰り返すことができる。

【文春による告発は名誉毀損罪か?】

 では、今回の文春による告発は法的に正しいのだろうか?「ペンは剣よりも強し」という言葉がある通り、国民には「自分の意見を主張する権利=表現の自由」が保障されている。ただし「公益性もなく一方的に名誉を毀損された場合」は表現の自由であっても「名誉毀損罪」として訴えることができる。ちなみに松本人志さんは「名誉毀損」として文春側を訴えるようだ。

名誉毀損罪

 名誉毀損にあたるかどうかは告発した内容に「公共性、公益性があるかどうか」だ。文春による著名な有名人による女性への不同意性交があったとする告発は公共性があると言えるのか?記事を書いた主目的が金銭を得たり恨みを晴らすなどの個人的な利益の為ではなく公益性があるのか?そもそも真実性はあるのか?などが問われることになる。 

【伊藤詩織さんが多くの支持を得た理由】

 男性による性被害の告発で思い起こされるのは伊藤詩織さんだ。伊藤さんはレイプ被害の立証は難しく、性暴行被害者で警察に被害届を出す女性は4%しかいない現状にも関わらず勇気を持って「私は性的暴行を受けた」と著名なジャーナリストを訴え、四年の歳月をかけて損害賠償を求めた裁判を継続し、ついに勝訴を勝ち取った。裁判長は伊藤さんが「公共性および公益目的」の為に戦っていると明確に認め、ジャーナリスト側の名誉毀損の訴訟を棄却したのだった。

 この道のりは長く、当初は準強姦容疑で訴えたのだが検察側が嫌疑不十分として起訴を取り下げるも追求をやめず、損害賠償を求める民事訴訟を起こしての勝訴だった。

 実名で「私は性被害を受けた」と訴えることはリスクが伴う。セカンドレイプと呼ばれる誹謗中傷を受ける場合もあるし。そもそも裁判を継続すること自体がかなりの精神的負担になるはずだ。それでも裁判を継続したのは「今後同じような性被害に遭う女性が一人でも減って欲しいから」という思いではないのかと推測する。その勇気が幅広く人々の共感を呼び、多くの支持を得ることにつながったのではないかと思う。

【まとめ〜文春砲で大騒ぎする社会は健全か?】

 伊藤詩織さんの事例は法的根拠に基づいて自らの性被害は訴えることができることを示している。

 性被害を受けた女性の心理として裁判で証言をする精神的負担や、実名で報道されたり、セカンドレイプなど誹謗中傷を受けるリスクを考えると著名人を訴えることが難しいことは分かるが。法治国家である以上被害女性が助けを求めるのは週刊誌ではなく、警察や検察であるべきだと思う。その為にも被害女性が負う精神的、金銭的負担を軽減し、安心して警察に相談できるように制度を整えることが大事なんだろう。

 どんなに司法に訴えても取り上げてもらえなかった問題を世間に周知させるのであれば公益性があると思うが、司法機関をすっ飛ばして週刊誌がいきなり人の人生の命運を左右するのは行き過ぎな気がするのだがどうだろう?

 SNSが発展した結果「文春砲」で多くの人が大騒ぎを繰り返すような社会は健全と言えるのだろうか?芥川龍之介の小説に「藪の中」というのがあるが、結局のところ何が真実かなんて当事者間でも食い違うもなのだから、憶測で外野の人間があれこれ議論することに何の意味があるのかとつくづく思う。という自分もこの一件が気になって文章を書いているのだけど(゚ω゚)

 という感じで今回は著名人の性加害疑惑から法治国家において性的同意はどのように守られるべきなのかちょろっと考えてみました。あくまでおっさんの適当な考えなので不備があったらご容赦ください。ではまた!(๑>◡<๑)

 

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