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趣味と試験

昨年、私が受験し合格した「日本語教育能力検定試験」。

2022.1 日本語教育能力検定試験、合格! 勉強法や参考書、当日の注意点は?
https://note.com/iincho/n/nc1dbaedff576

じつは偶然にも、知り合いのご主人(という呼び方は好きではないが礼儀としてそう呼ぶ)も受験していたという。

ご主人は、私よりずっと年上で定年も近く、仕事にも少し余裕がでてきた(定年が近いから大変な仕事は任されていないのだそう)ので、自分を高めるために、いろいろな検定や資格試験を受けているのだそうだ。
「独学で合格するのが美学」だそうで、この「日本語~」の試験も、独学で2年連続で受けているという。残念ながら今回も不合格だったそうだ。

この試験は独学で合格する方ももちろんいるが、私のように学校で420時間勉強してから受けた方が格段に合格率は高くなると思う。そのくらい、結構きつい試験だと思う。(なにせ受験料も1万円超え)
なお、ご主人は、今は特に日本語教師になる予定はないという。

・・・・・・・・・・。

受験前からこの話を聞いてhいたのだが、私はずっとなんとも言えない気分だった。

今回、私は合格して、ご主人は不合格だった。
(もちろん2人とも合格するのが一番良かったが)
これで結果が逆だったらもっと複雑な気分だったと思う。

つまり、正直に言うと

私は日本語教師を本業にしたいと思って受けているのに、
「趣味・楽しみ・ヒマつぶし」で受けた人が受かったらどうしよう・・・。

ということだと思う。いやどうもしないんですけどね。分かっているんです。頭では。


▼大前提として

人が何を勉強しようとそれは権利であり、自由であり、大変良いことです!!!
日々、何か目標を設定してそれに向けて頑張るのはとてもいい刺激になる。私自身もそうだった。
そして、どんな試験も受験資格さえあれば受けてよい!!! 何かのためにしか受けてはいけないということはない。
例えば車の免許だって、車を運転する必要がなくても受けて免許を取得してよい(私は運転の必要はなかったが身分証明のために免許を取った)。
それに、取得・合格が「じゃあ、せっかくだからこれを活かして何かやってみようかな」というきっかけになることも十分にありうる。

▼それを踏まえても、でも・・・

フクザツなのだ。

これが、たとえば「漢検1級」とか「色彩検定」とか「●●アドバイザー」とか、そういうものは、私もちょっと受けてみたいと思う。

別にそれらに合格することをバカにしているのではなくて、それぞれの検定はすべてそれなりに勉強しなければ合格はしないし、勉強するのは尊いことだ(前章で述べた通り)。

ただ、「その検定の合格だけを持っていても、すぐ仕事に結びつくことが少ない試験もある」というのは事実だと思う。

乱暴に言うと、それまで全く畑違いの業界にいた人が「色彩検定」に合格しただけで、例えばデザイナーや色彩設計などの職業にすぐにつけるかというと、それは難しいのではないかと思う。(それで成功していた人がいたらすみません・・・)

また、例えばTOEICは、趣味で受けている人もいれば、仕事で必要だから(とか会社から言われて仕方なく)受ける人もいるだろう。

でも、この日本語教育能力検定は・・・そういうのとはちょっと違うだろうと思う。

この試験に合格することのみで「日本語教師の就職要件を満たす」それだけ強力な効果があるのだ。

もちろんこの試験に必要な知識があれば、街や生活の中で外国人に接する時の心構えも全然違うものになるだろう。それに音韻などの知識は「日本語」を学び直し、「外国語」を学ぶ際にも大変役に立つと思う。
絶対に損はしない。むしろ、この試験の出題範囲の中に、日本人一般にももっともっと知ってほしいことがいっぱいある・・・。

でも、実際に試験会場に行ってシニアが多いのを見て、このシニアの中に、腕試しみたいな形で受けている人と、本業の役に立てようと受けてる人が試験会場に混在してるのかと思うと・・・複雑だった。もちろん受験しているシニア層が全て趣味、腕試しだとは思っていない。それでも何%かはそういう人もいるのかもしれない。

この日本語教師という職業が、若者の選択肢に入っていない、ということも大きく影響しているのではないか。①マイナーな職業(マイナーすぎて大学を卒業するときの選択肢に入らない)、②新卒を取る余裕がある職場が少ない、③若者が目指せるような給料体系がない・・・。

日本語教師はまだまだ「生活に余裕がある人しか始めにくい仕事」だと思う。

経験を積めば暮らしていくことはできるのだが、そうなるまでには、ほとんどの人が数年は収入が少ない期間を経なくてはならない(無茶苦茶に働けば別ですが、それは何でもそうです)。

実は試験だけではない。

私が通った420時間の養成講座で同じクラスだった8人中、実際に日本語教師になった(日本語学校に就職した)のは私を含め2人。さらにもう2名は「通学前からボランティアで日本語の先生をしていて、多分今もそれを続けている」方々。あとは日本語業界に入ったという話は聞いていない(聞いていないだけでもしかしたら何か仕事にされているのかもしれないが)。

養成講座の金額は安くはない(数十万円)。そして420時間という名の通り、相応に生活から時間を捻出しないと通学・修了はできない。

それだけのお金と労力をかけても・・・実際にお金をもらう教師になる人の方が少ないのだ。


いや、違うか。


すべてを「仕事(報酬をもらうこと)」にする必要もなく、また、いつか時機が来たらそれが仕事になることもあるのかもしれない。

だって、私のこれまでの習い事や受けた高等教育は、直接仕事に結びついているわけではない。むしろ結果的には(特に何か目に見える結果を産まなかったという意味での)「浪費」の方が多かったといえるかもしれない。
書道、ピアノ、水泳、英語、そして塾。全然役に立っていないというか、私が役に立てることができていない。

でも、習い事で得たちょっとした知識や経験で生活は確実に豊かになった。
私はピアノを何年も練習していたのに、五線譜も読めないし何の曲も弾けない。でも、ピアノが好きになった。ピアノに通うのを止めた後で、クラシック音楽が好きになった。

大学時代の私は、法学部の授業内容を全く理解できていなかった。でも全く理解できていなかった、その法律の知識が、何度も私の生活を支えた(バイト先を得ることができた)。

何をもって「ペイした」と捉えるか。
そもそも勉強や教育に「ペイする」という考え方はなじまないのだ。

私はGABA(マンツーマン英会話ガバ)に50万円以上払ったが、英語は全然喋れない。でも全く後悔していない。

コミュニケーションにおいて
・流暢に喋れるかどうかは最終的には重要ではない。まず喋ろうとするかどうかだ! 
・話のつまらん(合わない)やつは外国語でもつまらん(合わない)。
・何を話すか、誰と話すかが重要なのだ。
ということを身をもって体験したからだ。

私は経験を買い、度胸を得た。
何なら私の日本語教師への転職もGABAでの経験のおかげだ。


50万円をドブに捨てたかどうか、「無駄だったか?」は、私が決める。そして私は断言する。GABAは全く無駄じゃなかった。


・・・結局、私が思っているのは

「お金のためにはたらかなくていいって、いいな」

ということなのだ。単なる嫉妬である。

件(くだん)のご主人は、定年後、外国人観光客を案内するようなボランティアをしたいと考えていたそうだ。コロナでいったんその夢は保留しているそうだが、それで、通訳や言語、歴史関係の検定・試験を受けているらしい。

ボランティアが悪いわけではまったくない。
お金が発生するしないに関わらず、誰か他の人のために何かをするのは尊いことだ。

でも私は、日本語教師を本業にしようと思っていても、コロナで生徒は入ってこない。入ってきて授業を持っても、収入は全然足りない。
他方、定年後の生活に不安がない人が、「ボランティアの足しに」この試験を受ける。

お金のために働かなくてもいい(けど、体を動かしていたい、まだ社会の役に立ちたい)と思うシニアと同じ職場で、「生活のために」働いている私。そのアルバイトの収入が私の生活をギリギリ支えている。

そして「定年後ボランティアしたいな」という人と同じ試験を、私はキャリアのために受ける。

なんかもう、はたらくって何なんだろう。

お金のため? 誰かを助けるため? それとも生きてる間のひまつぶし?

全部だよな。

何もしないでいるには人生長すぎる。

有意義なことをしたいと私も思う。

でも収入が足りない生活に困っている若者がたくさんいるのに、なんでお金に困らないシニアが働いてお金をさらに得ているのかなって、思う時がある。別にシニアだけじゃないけど。

でもそれは言ってはいけないことだ。ドツボにはまる一本道だ。

現実は不平等だ。現実は不条理だ。世界に意味なんかない。

それでも私はこの仕事をする。
食っていけなくても、何にも守られなくても。
自分ですべて分かって決めたんだから、引き受けなくてはいけない。
自分で決めた。いつ辞めたっていい。誰も困らない。
でもやる。でもがんばる。


そういえば、私は今年、ロシア語を勉強を始めました。今キリル文字と格闘中。
別にロシアに行きたいとか、全然なんにも考えてない。けれど、外国語を学び続けることで、日本語を外国語(第二、第三の言語として)学ぶ人の気持ち、辛さ、大変さを忘れないようにしたいのだ。知らない文字を読むだけで大変なことなんだなと実感する。こないだ「Казахстан」が読めて感動した! 「か、ざ、ふ、す、た・・・ん」。


勉強はとてもいいことです。
勉強が趣味、とがめられることではない。何をしても自由。
趣味で試験受けてもいい。もちろんだ。

そして私は私なのだ。



これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m