【短編小説】 踊り雀 ♦1


 日和濃く、青い空が透き通っていました。
 道端で緑の吐息を繚乱りょうらんさせる植物たちは、花開く日を待ち望み、蟻はせっせと食事を運び、人間はめかしこんでせわしなくどこかへ向かっています。空でもまた、この陽気に誘われた鳥たちが小さな羽を羽ばたかせていました。
 空高く頂きを持つ建物や樹木、街灯や電線などを伝い、集団で移動していたのは雀です。

 先頭をる大人雀の誘導に従い、子供雀のハクは、見たこともない土地を移動していました。
 大人雀たちからは、どこか張りつめた空気を感じさせました。ですが、ハクにまったく不安はありませんでした。仲間の雀とともに、こうしてみんなで移動したことは何度もあったのです。むしろ今では、秘密基地を探す遊びみたいで、楽しんでさえいました。

 雀たちは一つの建物に近づき、軒先のきさきで羽を休めることにしました。すると、大人雀たちは建物の周囲を動き回っていました。その小さな瞳を大きく見開き、くまなく周囲を探しました。
「そっちはあったかー!!」
「ダメだあ。ここじゃ宿守やどもりできねぇ」
 大人雀の声はよく通りました。その声を聞き、ハクの母親は顔を曇らせました。
 ハクは母親に体を寄せ、「大丈夫。もう少ししたら見つかるよ」と元気づけます。母親は薄く笑い、「そうね」と応えました。

 しばらくして、雀たちは次の探索場所へ向かうのでした。
 かれこれ三時間がたったでしょうか。日没前に皆が休める場所を確保せねばなりません。

 一羽の大人雀がハクに近づき、「まだ行けるか?」と声をかけます。ハクは頷き、「うん、行けるよ父さん」と笑ってみせました。父親は安堵の笑みを返し、「そうか。強いな」と言った後、「でも、休みたくなったら遠慮なく言うんだぞ?」と気遣い、背中を擦りました。「わかった」と首肯して、ハクは仲間の後に続きました。

 小さな野鳥が数十となり、移動していく様は微笑ましい光景かもしれません。しかし、その遥か上空では、雀たちの体を超える鳥がギラギラした目で獲物を探していたのです。
 大きな羽を広げ、優雅に空を舞う鳥は、雀の群れを目にした途端一気に下降し始めました。

 雀の群れの後方で警護を担う大人雀が、突然甲高い声を上げました。
「鷹だ!!」
 雀たちは一斉に散らばります。ハクは親の背を追い、必死に飛びました。機敏な動きで鷹の目を翻弄する大人雀。鷹はすばしっこい大人雀を捉えられず、かぎ爪は空振りに終わります。

 陽動役に回った大人雀は茂る草木の中に身を隠し、姿を消したと思いきや、別の大人雀が鷹の前を飛び、建物の陰に入ります。鷹はどの雀を狙えばいいか混乱してきました。

 とりあえず、鷹は目に留まった雀の影を追うため、一度高く上昇することにしました。
 数件の建物の範囲を網羅する旋回せんかいの速さと羽を広げる姿は、隠れる雀たちを牽制けんせいしているようでした。鷹は虫一匹逃さないといった気迫で周囲に目を配ります。
 鷹の執念が実り、視界の端で空中を移動する影たちを捉えました。鷹は持てる速度を駆使し、滑空かっくうしていきます。

 雀たちは全神経を研ぎ澄ませ、鷹の動きを察知しようとしていました。引きつった顔をしているハクを見兼ね、父親が「心配するな。もうすぐ落ち着く」と声をかけます。ハクは頷くのがやっとでした。
 周囲を警戒する大人雀たちは、一刻も早く鷹の捕捉範囲から逃れようとしていました。ハクも周りの大人雀たちの放つ緊迫した空気にあてられ、くちばしをカタカタと震わせていました。気持ちは焦るばかりでした。

 その時、雀たちの群れに大きな影が襲いました。
 ハクの隣を飛んでいた雀は突然横にそれました。ハクは隣で飛んでいた雀に押され、バランスを崩してしまいます。一つ二つ体が回転しますが、ハクはどうにか体勢を整えました。
 何が起こったのかわからなかったハクが他の雀たちに目を移すと、雀たちが群れを離れ、バラバラになって飛んでいました。

 その奥に見えたのは、一羽の雀が他の鷹に連れ去られていく様子でした。小さな体の中で打ち鳴らす鼓動は、ますます早まっていきました。
「ハクーーーー!」
 父親の風切り音のような叫び声に視線を飛ばすと、左上空から大きな羽を広げた鷹が迫ってきました。ハクは恐怖に背中を押されるままに逃げ出しました。
 ハクの脳裏にしっかり刻まれてしまったのです。仲間が鷹の爪に捕まっている姿が。その後どうなってしまうのか。口にするのもおぞましいに違いありません。

 ハクは一心不乱に羽を動かします。当てもなく、ただ逃げられる場所を目にすれば、そこ目がけて必死に翔け抜けました。しかし鷹の速さは桁違いでした。右の羽に激痛が走ったのです。
 ハクは心が折れそうになりますが、自分の死に顔を想起し、痛みを無視して逃げることだけを考えました。
 ですが、ハクが飛んでいる高さはどんどん低くなっていました。
 ハクに余裕はありませんでした。視界はぼやけ、音もこもって聞こえていました。

 もう限界が来ていました。一縷いちるの望みに賭け、どこかに身を隠せないかと、熱を持った意識の中で探しました。
 その時、ひさしの支柱が視界に入りました。わらをもすがる思いでひさしの陰に足をつけました。やっと休むことができましたが、まだ鷹の鳴き声が響いていました。

 さほど距離は近くないようですが、子供のハクには体が震えるほど恐ろしかったのです。
 ハクに逃げる気力はありませんでした。「父さん、母さん……」と寂しそうな声が力なく零れるも、拾ってくれる者はどこにもいません。次第に空は赤らんで、意識は遠のいていきました。

 永遠に思えるほど長い時間が終わりを迎えたのは、青みがかった空気がほんのりと冷たさを伝えた時でした。ハクはぶるっと体を震わせて、重い瞼を開けました。
 見慣れない場所。質素な木の上で、ハクは辺りを見渡しました。静まり返る夜明けのこく。この時間であれば、いつも父親と母親がそばにいるはずでした。どこを見渡せど、両親はおろか、仲間の雀たちの影は見えません。悪い夢を見ていただけ。そう思いたかったのですが、右の羽にズキンっと痛みが走った瞬間、理解したのです。あれは夢じゃなかったのだと。

 ハクは寂しさでたまらなくなりました。仲間がどこへ行ったのか、ハクには見当もつきませんでした。もし見当がついていたとしても、一羽で仲間を捜す勇気は出なかったことでしょう。
「痛い、痛いよ……」
 ハクはめそめそと泣き出してしまいました。
 これからどうしたらいいのか、ハクにはわからなかったのです。

 そんな泣いているハクの顔を覗き見るように、ひさしの端から光が射してきた頃、どこからか賑やかな声がぼやけて聞こえてきました。
 それはどんどん近づいているようでした。どうやら雀の鳴き声のようです。一瞬、仲間の声かと耳をそばだてましたが、聞いたことのない声ばかり。

 ハクは迷いました。同じ雀なら、きっと助けてくれる。ですが、ハクは誰かと話すことが苦手でした。特に知らない雀と話す時は、心臓が喉から飛び出るかもしれないと思うほど緊張してしまうのです。
 賑やかな声は内容が聞き取れるくらい近くなってきました。すると、上から突然カタンと音が鳴り、ハクは思わず小さな悲鳴を上げてしまいました。
 カタカタと足音が真上を走っていくと、ひさしの端からにゅっと顔が出てきました。出てきた顔は、はっとしたように驚きをあらわにして、目を大きく見開いていました。

 かっちり視線が合ってしまい、ハクは何か言わなければと焦りました。しかし、焦るばかりで言葉にならず、視線を右往左往させました。
「なんしてんの?」
 雀の声は幼いものでした。おそらく同じくらいの歳なのだろうと、ハクは思いました。
「もしかして、はぐれたん?」

 ハクは小さく頷きました。子供雀は少し考えるような素振りを見せた後、「ちょっと待ってろ」と言って、すくっと顔を引っこめました。ハクはカタカタと上で駆ける音を視線で追いかけます。どこかへ行ってしまったようです。
 賑やかな祭りばやしの声を耳にしながら、ハクは思いめぐらせました。優しい雀みたいでよかったと安心すると、これでよかったのだろうかと不安になり、途端に落ち着きなく、その場でひさしの支柱の上を行ったり来たりして待つことになったのです。

 戻ってきたハクと同年くらいの雀は、他の雀たちを連れてきました。ハクは怯えながらもひさしの上に出ていきました。
「君は?」
 大きな体の雀は、族長を務めるトウガキと名乗りました。ハクは自己紹介をすると、おずおずと事情を話しました。
 トウガキはたいそう同情し、ひとまず食事にしようと提案しました。

 食事の席に通されたハクは、肩身狭く縮こまっていました。たくさんの雀たちが輪になって食事を囲み、楽しそうに話していました。葉の上に置かれたやわらかな草。花びらが彩りを添えており、とてもおいしそうでした。
 ハクはおいしそうな食事をついばんで、口にします。見た目通り、とてもおいしい。なのに、浮かない顔が貼りついていました。
「ほれ」
 眼前にすっと花が入り込んできて、ハクは驚き、視線を移しました。笑いかける雀は、さっき自分を見つけた雀でした。
「これ、甘くておいしいんだ」
 そう言って、雀はハクの前に茎のついた花を置きました。

「あ、ありがとう……」
「そういえば、名前教えてなかったな。俺はイザラメ。仲良くしようぜ」
 イザラメは引っ張ってきた自分の葉皿を目の前に持ってくると、ハクの隣で食べ始めました。イザラメは山盛りの草花にがっつき、たくさんあった草花はみるみる減っていきます。食欲旺盛なイザラメは食べ盛りの年頃。それはハクも同じですが、無気力感が絶え間なく押し寄せてくる状態では、喉も通りにくかったのです。


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未熟な身ではありますが、一歩ずつ前へ進んでいきたいと思います。