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自己紹介ー私の過去についてー


初めまして、糸まきと申します。私は、



”大切な人にほど迷惑をかけたくない”

そうやって一人で悩んでいる20代後半のひとに向けて

「こっそり相談できる場所」で「心からの安心」をはぐくんで

いつしか、大切な人の前で素直なままでいられる
そんな自分を目指すあなたをサポートしてくサービスを構築しています!


このサービスで困っている誰かを救いたい!

そう思うようになったのか、その原点である私の過去を語っていきます。

知ってもらうにはまず私のヒストリーを晒すのが一番だと思いw
こうして皆さんにも知ってもらいたいパワーのままに書いていきます。

  • アダルトチルドレンの過去

  • 相談できない神経のもろさ

  • 人生初めての真剣な人生相談

  • 自分を愛することを許せるようになるまで


色んなものを乗り越えての今があります!

他の記事を読んで少しでも興味を持っていただけた方の参考になればいいなと思っています。ボリューミーですがどうぞ!



見た目はいい家族、でも実際は…


銀行マンの父と子育て熱心の母、三姉妹仲のいい、五人家族。

見た目はいい家族、でもその中身はというと…。
物心ついたことにはすでに家庭内別居状態

威圧的な母に対して父は自室にずっとこもって。夜はひっきりなしの夫婦喧嘩。
それが「よそには見えない」私にとっての日常でした。

家庭の実権を握っていたのは母、威厳の為か躾にすごく執着していました。
言うことがきけないとすぐ怒鳴って「そういうとこお父さんそっくり」が決まり文句。
反論の余地を与えないほどに、大人の精一杯の力で叩く蹴るは当たり前でした。ボディーブローは普通に痛かった。


頑張りが足りなければそれ以上に怒られてしまう。
「私の子供じゃない」といわれては、いつか捨てられてしまう想像におびえました。

母を失望させては存在する意味が無いと思うようになりました。



親の期待する進路に進んで、勉学も必死こいて、その延長線上で私はなんの疑いもなく看護師になったのです。




20になって家族ばらばら


21歳看護師として働くようになって、家庭環境は変わっていきます。
収入を手にしたことで母の態度は急変しました。

月5万家にお金を入れろ、毎日食事を作ってやってるのに感謝がない、休みの日くらい家事は今まで通りこなせ。

要求はエスカレートしていき、とうとう耐え切れなくなった私と姉は母と初めて大きな謀反を起こします。

もともとジェンガ状態だった我が家はその勢いで崩壊し、母は妹を連れて実家から出ていきました。
それからほどなくして両親が離婚。父と姉との同居になりましたが、騒動をきっかけに姉も精神不安定になり、わだかまりがどんどん大きくなって、


結果的に私は逃げるように実家を出ました。


実家と呼べるものがなくなって、家族が一瞬にしてなくなって、
深い喪失で孤独に陥りました。

「誰も頼る先はなくなった、一人で生きていく他ない」

一社会人として自立していくこと以外考えないようにしようと、この時脳を麻痺させることにしたのです。



「頼る」ってどうやるんだっけ?


人には頼らず一人で何でもできるようにしないと。

そう心に誓った私は我慢をため込むようになりました。

仕事はできるようになって当たり前、人一倍こなせてようやく一人前。
ミスを限りなく0にして「使えない認定」をされてしまわないように。

仕事がなくなったら私は生きていけないのだから…。


自分はHSPで誰よりも職場の雰囲気ののまれるタイプだったのに、刺激まみれで疲れやすい体質だったのに、
そんなのお構いなしに「つらいと感じているのは自分だけじゃない」と我慢を積み重ねました。


案の定そんなことをしているとミスが多くなり、睡眠も食事も十分にそれなくなっていきました。
毎日張り詰めた精神にコロナ病棟の業務も相まってどんどん息が苦しくなりました。


誰かを頼りたい…助けてほしい…。懇願するようになって我に返ったのです。



「どうやって助けてっていえばいいの?」


上司も同期もいるはずなのに、怖さが邪魔をして相談できなかったんです。
その怖さというのは「失望されたくない」というもの。


幼少期私が抱いていた

母を失望させては存在する意味が無いと思うようになりました。

その怖さがぶり返してきたのでした。

がっかりされたくない。そう考えてしまったらもう八方ふさがりでした。
私のメンタルは急斜面を転げ落ちていきました。

  • 当たり前の仕事が満足にできない自分。

  • 気分でパフォーマンスを保てない自分。

  • 仕事するために生きている自分。


自己否定の毎日に陥った私はうつ病の予備軍だったのでしょう。
看護師だったのにまるで自分のことに気が付きませんでした。

醤油の味がしなくなって「はっ?」ってなって初めてぞわぞわ焦ったのを覚えていますw


精神的にやばい、これ以上言ったら私だめかもしれない。
そう思って職場を退職し

私は一か月休職することになったのです。



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ここまで読んでくださってありがとうございました。


【豆腐メンタル陰キャソロ充がための駆け込み寺】

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