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第百六話 饂飩殺人事件

「私?」
私は街の片隅に小さな(つまり一人だけの)事務所を開いているしがない探偵。金銭的に潤うことなどめったに無いが、人様の与り知らぬ妙な話にありつけるのが役得と云えば役得だ。
「何? 覗き趣味などではないさ。職務上知り得た与太話ばかりだもの」
顧客への守秘義務は厳然とある。提供して頂いた個人情報を無暗に他言することなど、職業倫理上(そこまで堅いことは言わずとも)ベラベラと他言してしまっては、探偵稼業など務まるまい。
だが、この一件だけはどうしても広く知って欲しいとペンを執った。否、これは誰もが知っていなくてはならない重要事項なのだ。
殺人事件、それも主犯が饂飩ときている。公言したところで咎が及ぶのは饂飩だけ。
「ならば思い切って」
決断した。しかも、この残虐無慈悲な饂飩に依って、あなたの命もいつ狙われるかも知れないのだから。
その話が持ち込まれたのは四国の地方都市に住む初老の男からだった。
「一度食べてみてください。地元の名産品です。と云ってもこれ以外に自慢できるようなものは有りゃせんのですがね」
そう言うと男は風呂敷に包んだ手土産を押し出した。
開けてみると饂飩の乾麺だった。
「これが張本人だって言うから笑っちまいますよ」
男は意外なことを口走った。
「張本人って?」
私は呆気に取られて土産から男へと視線を移した。
「儂等はね、地域興しの起死回生となるようなもの、地元の名産品として全国の皆さんに喜んで頂けるものをと思って、饂飩の開発に取り組んできたんだ。饂飩は儂等の街では昔からよく食べられていたから手っ取り早かったんだね。それこそあんた、官民一体となってね。試行錯誤を重ね苦労の末にやっと出来上がったんだ。儂等地元の人間は、観光客が喜んでくれると思って、小麦粉を厳選し、水もあちこちから取り寄せ、打ち方も研究して、コシの強い、喉越しの好い細い饂飩を開発したんでさあ。評判が評判を呼んで、来る観光客の殆んどが饂飩目当てと云う有様さ。だけんど、儂等の街を訪れた観光客がほどなく何の前触れも無くポックリと死ぬ例が出たのさ。この時を境に饂飩が人を殺すって噂が広まるようになって、それから売れ行きはさっぱり。とんでもない言い掛かりと云うもんでさあ。饂飩が人を殺すなんて話は金輪際聞いたことがない。馬鹿々々しい。そこで探偵さんに、饂飩が犯人じゃねえと証明して欲しくてこうしてお願いに来たんでさあ。このご時世でしがない地方都市なもんで、謝礼はたんまりとはいかねえけんど、饂飩だけはたらふく召し上がれます」
男は一気呵成に話すと照れたような小さな笑いを浮かべた。
「ままっ、ご依頼の趣旨は判りました。何はともあれ、現地で捜査してみなくては何とも言えませんな」
私はそう返事をすると手土産の饂飩の入った箱を手元に引き寄せた。
その晩、天麩羅を揚げて土産に貰った饂飩を茹でて食べてみた。
「実に美味い!」
この世にこれ以上美味い饂飩はあるものかと舌を巻いた、いや舌鼓を打った。
翌朝、捜査道具一式を鞄に詰めて私は四国の地方都市へと向かった。現場こそ情報の宝庫、それに私は無類の粉物好きときている。言い忘れていたが、なかでも饂飩には眼が無いのだ。
ビジネスホテルで旅装を解くと、早速街に出て捜査に取り掛かった。
まずは饂飩の開発担当者に直接経緯を訊いてみることにした。なんでも代々この街で饂飩屋を営む老舗の六代目だと云う。
「いゃあ~、事の発端は東京のコンサルタント、ほら、政府が地方創生とやらで金をバラ撒いたときに依頼したときのあの先生なんだよ。この先生に相談したところ、『地域興しをするには若者、余所者、馬鹿者の力が必要だ』ってね、そう言うのさ。そして紹介してもらった余所者が、これがまた派手な格好をした東京のプロデューサーだかプランナーだか、この男が『饂飩なんてのは全国至る所に在るのだから、アピールするには何かこれと云うものが無くちゃ。そうだ饂飩と云えばコシ、コシの強さをウリにした饂飩で売り出したらどうかね」と言い張ってね。居合わせた皆も特にこれと云う案を持っていたわけじゃねえからその話がそのまま通っちまって、コシの強い饂飩作りに皆で取り組んだってわけだな』
相撲取りのような体躯のその男は苦々しい表情を時に浮かべながら話してくれた。
「地元の事情もよく判らない都会の人間のアイデアにそんなに簡単に乗っかってしまうものですかね」
私はその男が責任転嫁で話を捏造してはいないか探りを入れた。
「いゃあ、地元の人間なんか、毎日の生活に追われて先の事なんか何も考えねえから、ポンとアイデアが出されれば、一も二も無く乗ってしまうんだなぁこれが」
「なるほど、そんなものなのか」
この男からはこれ以上実のある話は訊かれそうもないので饂飩屋を後にした。何か情報は無いものかと寂れた商店街を行くと、シャッターの閉まった下駄屋の前で老人が無聊を託って座っていた。
「お爺さん、好い天気ですね。今日はまた何か面白い事でもありそうですか」
当たり障りのない話題を振ってみた。
「はぁ、面白いことなんて何も無えさ。ここ三十年近く、何も起こりはしないんだ、この街ではな」
「でも、こちらの名産の饂飩を食べた人の間でひと悶着あったって話を耳にしたんですがね」
「嗚呼、饂飩事件のことかね」
「ええ、その饂飩殺人事件に就いて何か御存知ありませんか」
「あんた、また殺人事件とは滅相も無い。ここいら一帯では昔から赤ん坊も年寄りも、何時でも何処でも、饂飩を喰っていたんだ。主食が饂飩ってことだね。でも昔の饂飩は今のみてえに、こんなに固くはなかったよ。赤ん坊から年寄りまでって言うのは、歯が無くったって噛み切れるぐらい柔かったんだ、ほら」
そう言って老人はすっかり歯の無くなった歯茎のテラテラした口を大きく開けて見せた。夕食に鮪の刺身でもと思っていた私は嫌なものを見せられて、急遽饂飩にすることにした。
「そうですか。コシの強いので有名なここの饂飩も昔はそんなに柔らかかったんですか」
「そうさ、饂飩なんてのはそんなもんよ。お伊勢さんの饂飩をみてみなよ。博多の饂飩をみてみなよ。それが観光客が喜ぶからってコシの強い饂飩を皆して打つから、今じゃ儂なんかコワくて食べられやしねえ。饂飩の名産地で饂飩が食べられねえなんてザマはねえよ」
老人は大きく溜息を吐いた。
私は意外の感がした。ここでは昔からコシの強い饂飩を打っていたわけではないのだ。もうすこし詳しい情報を集めようとシャッター街をブラブラした。すると四辻に中年の小母さんたちが屯しているのが見えた。何やら井戸端会議風に話が弾んでいるようだ。
「この間もよ、年甲斐もなく朝帰りなんかしやがるから問い詰めてみたんだよ。ほしたら隣町のスナックで朝までカラオケやっていたって言うじゃないか。あきれちまうよ」
「そんな亭主は離縁しちまうに限るよ」
「ダメダメ、ただで離縁したら残るものも残らないよ。知恵を働かさないとね」
「知恵って?」
「ほら、稼ぎの少なくなった亭主には饂飩をしこたま食わしてやれば、三年もすればコロッと逝っちまう。遺産は総取りだね」
聞き捨てならぬ話だった。もう少し詳しく話を訊こうと輪の中に割って入っていった。
「失礼ですが、今のお話、とても冗談とは思えませんね」
「あらやだ、お兄さん聞いていたのかい。人聞きの悪い。知る人は知っているんだよ。あんただってここでは街を挙げてコシの強い饂飩を打っているのは知っているだろう」
「ええ、こちらの名産品ですよね」
「そう名産品と云えば名産品だよ。ところでお兄さん、饂飩のコシを出すのはどうやるか知っているかい」
意外なことを訊かれて戸惑った。
「饂飩のコシを出すには塩を入れるんだよ、塩を。入れれば入れるほどコシが強くならあね」
「そうなんですか。何しろ饂飩なんて打ったことないもんですから」
「そうかい。それに喉越しを好くするには饂飩の太さが問題だね。細い饂飩にしなくちゃならねえ。饂飩を細くするとブツブツ切れちまう。そうなりゃ元も子もねえ。そういう時もまた塩だ。塩で粘りを出すんだ。塩の力だよ」
「すると細くてコシの強い、喉越しが好くて歯応えのある美味しい饂飩には塩がたんまりと」
「そうさ、お兄さん察しが好いね。だからここいらの饂飩には塩がタップリだ。ここの饂飩の茹で汁をちょいと舐めてみな、そりゃあ塩辛いから。眼の玉が飛び出るがね」
私は捜査の結論を出せないままに帰京した。帰りの道すがら「コシの強い饂飩、喉越しの好い細麺、そのためのたっぷりの塩」と呪文のように反芻した。
饂飩づいた私は帰ってからも毎日饂飩を食べ続けた。もちろん、あの街での捜査中も三食の食事は総て饂飩だった。饂飩好きの冥利に尽きると、この仕事に感謝したものだった。それが昂じて帰ってからも饂飩、うどん、ウドンの饂飩漬けの毎日だった。
ある日、私は突然頭に激痛を覚え、意識が遠のくのを感じた。
気が付くと病院のベッドの上だった。
点滴を着けたまま横たわっている私の横に担当の医者がやってきて開口一番、「目が覚めましたか。一週間昏睡状態だったんですよ。自宅で脳梗塞を発症しましてね。原因は塩分の摂り過ぎです」。
医師のその一言ですべての謎が解けた。
 

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