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あたまがさんかく 8月23日の日記

鬱であった。2ヶ月ぶりであった。今まではだいたい1ヶ月に一回ほどきていたのだけど、今回は2ヶ月で、溜まりに溜まった「澱」がいっきに押し寄せた感じがして、そうしたかなりキツくなった。
8月はなかなか忙しく、しかも、台風とか、にわか雨とか、とにかく低気圧に押しつぶされそうになる。そうして鬱になった。頭では自然のせい、だとわかっているのだけお、心はそうもいかない。鬱になったら、僕の心は僕を攻撃してくるし、僕はそれを避けようがない。僕を攻撃してくる僕の心に従って、僕を終わらせようとする。僕はそれをとにかく回避しなければならい。全身全霊を使って、それだけは回避しなければならい。僕の生活は、その自己否定と、希死念慮を回避する、瞬間瞬間の記録である。

今回の鬱は下手ではあるのだが「SNS疲れ」である。僕はここのところ、SNSとうまく付き合っていると思っていたし、SNSを見過ぎないようにセーブしているつもりだった。だけど、無意識のうちに、やっぱり、他人発信する情報を受けすぎて、そうしてSNS疲れによって鬱がきてしまった。自分のパステル画を、文章を、もっと俯瞰すれば人生を、他人と比較して、比較癖は僕の悪い癖だ、そうして鬱になってしまった。「他者から目を逸らす」のは、僕が常に心の中に留めておいていることであるし、僕はそれを意識してSNSを見ているつもりであった。しかしながら、僕は鬱になった。僕は僕の人生を、生活を、創作物を、無意識のうちに他人と比較して、そうして、まるで体を内側に、織り込まれていくように、意識と筋肉が、入り込んでいく。そうして僕は鬱になった。

しかし、鬱には終わりがある。今回も例外なく、鬱に終わりが来た。鬱の終わりは、風呂から出て、涼しい、冷房を効かせた脱衣所で服を着替えている時に似ている。まだ体に厚さは残っているが、体は冷たい心地よい空気に包まれているようなあの感じ。

鬱が終わり、僕はパステル画を描いた。今日の朝のことである。島根の絵を描いた。
僕はしばらく、パステル画を休むつもりだった。でもそれは、鬱で他人の作品と比較していたときの僕の勘違いで、写真に撮った自然が、「描け」と言っていたので、その声に従って、描いた。

今日は島根の海を描いた。僕の手からぶわーっと、いままでにないものが生まれる感覚があって、描いたあとに「なんじゃこれ。すげー」という気持ちだったので、描いてすぐ出した。

キララビーチ#5 夕方

個展第二弾やります。ぜひ来てください。


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