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遊郭の写真見世

明治34年の春、警視庁は張見世を禁止しました。

張見世とは、外から見える赤い格子の部屋に娼妓が控えていて、お客が相手を選ぶ方式です。

福岡の遊郭、柳町でも格子に幕を張り、道から覗かれないようにしました。

しかし、夏になると暑いし、衛生上よくないと抗議があり、娼妓の遊郭内での自由歩きを許すようになります。

すると、娼妓達は自分で客を捕まえてくるようになりました。

それが、客のはげしい争奪戦になり、事件が起きると、いつのまにかもとの張見世に戻ってしまいました。

柳町が移転し新柳町に移った後、大正5年7月にも再度、警視庁が張見世を禁止する通告を出します。

その間にも、何度か禁止通告は出していたのですが、いつの間にか緩んで、なあなあになっていました。

この時は写真で選ぶ、写真見世と変わりました。

しかし修正写真が多く出回り、写真に騙されるということで不評でした。(いわゆるパネルマジックってやつですね)

そこで、張見世を道路側から覗かれないないようにはしましたが、そこを娼妓の控え室と称して、一歩妓楼に入れば張見世と同じように見れるようにするなどして対策しました。

たまたま、控え室が外から見えるだけだと、それで押し通したのです。

ただし、柳町の一楽という妓楼だけは美人を揃えており写真で選んだそうです。

この一楽は、美人が多いということで全国的にも有名でした。

写真見世にしても修正などはなく、問題はおこらなかったといいます。

(現在も一楽というビジネスホテルが清川町にあります。場所は少し変わっているのですが、名前は当時の一楽から継承しています)


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