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家出の縁

バァン!けたたましい音をさせ、乱暴に玄関のドアを閉めると息子は何も言わずに家を出て行った

-数分前

「そもそもあなたが変えたパスワード忘れたのがわるいでしょう!」

妻の金切り声がする。
発端は、友達にスマホのパスワードを知られたのが気に入らないと適当にパスワードを変えたまでは良いが、わからなくなってスマホを初期化した息子である。初期設定が上手くいかない苛立ちは、受験生の彼の焦りと相まって増幅されてゆき、それらは彼が立て篭もった脱衣所の床や壁が被害者となって引き受けている。あと数十年ローンが残る小さないマイホームに、穴こそ開けないにせよその打撃音は非常に不快である

「ふざけんなよ!」

それは思い通りにならないスマホアプリへか、それとも引き起こした自分自身への罵倒なのか、彼の怒りは鎮まりそうにないが、妻をなだめながら床や壁も心配な私の堪忍も限界だ

「やめろって!怒ってもどうにもならん!そして床とか壁にあたるな!」

ピタと音が止まる。叫んだ私が呆気に取られる。ほんの数秒だろうが、その沈黙が長く感じられた。戸の向こうでは微かに息子の唸るような声にならない音がする

「もう!わかった!」

息子が叫んだ。何がわかったのかはわからなかったが、静かにはなった。戸の前に突っ立っているのも気まずいので、私はリビングへ行きビーズクッションに腰を深くうずめると腕組みをしながらテレビを観る。脱衣所を出たのだろう、階段を登る音が聞こえてきたので妻と顔を見合わせて同時にため息をつく。すると今度は階段を駆け降りてくる音がする。リビングの戸が開くとそこには小さな手持ちの登校バッグ一つを持った息子が立っていた。私たちの横を無言で通り抜けて、何も言わず、息子は出て行った。私は妻ともう一度顔を見合わせて、深くため息をついた。

-息子が出て行って30分後
家のインターホンがけたたましく鳴り、玄関のドアを叩く音。この家のドアや戸や壁は、子供達が出ていく頃にはボロボロになっているに違いない。帰ってくる時くらい静かに帰れよとうんざりしながらも、帰ってきて良かったと安堵しながらインターホンを通話にすると、その気持ちは刹那に切り裂かれた

「警察の人来てるからすぐに出てきて!」

息子の一言にリビングは凍りついた。上の息子も帰ってきていて状況を話していたので、息子の帰りを待つ間に3人で心配はしつつも談笑していた。やれやれ帰ってきたと思ったところへまさかの警察同伴というカウンターパンチに、息子が何かをやらかして警察の厄介になって今に至ったのだと誰もが確信していた。おそるおそる玄関を開けると、若い男の警官が何やら無線で通信しながら立っていた

「あのぅ〜、お宅の息子さんが家出されていたところ…」

その先は聞きたくない。何を壊したのか?誰を傷つけたのか?いや、補導されただけで未遂とか?

「迷い犬を保護してくれていまして〜」

私は耳を疑った。迷い犬を保護して自分で通報したのか?外出していたら間違いなく補導される時間に、自分よりも犬を保護する事を優先して?
警官はどのようないきさつでどのあたりで息子が保護をしたのかを教えてくれて、お手柄だったと言ってくれた。息子は興味なさそうな顔で聞いていたが、私は息子が人の役に立つ事をしてくれたのだと誇らしく思うのと同時に、何かしでかしたと頭から決めつけてしまった事に申し訳なさを感じていた。警官に迷い犬を一晩預かれないかと尋ねられたが、犬猫のペットは飼った事がなく何も用意がないのでお断りした。迷い犬は交番で一晩預かったのちに保健所へ送られ、1週間のうちに飼い主が名乗り出なければ殺処分されるらしい。なんとも可哀想な話だ。何の理由で迷い犬になったのか知らないが、飼い主が早く名乗り出てあげて2度と迷い犬にならないようにして欲しいと思った。迷い犬についての書類や聞き取りが終わり、警官は少し真面目な顔つきで私に尋ねた

「それで〜ですね?本人は家出していたと言うんですが、家出の方は事実でしょうか?」

そうだ、最初に家出していて犬を保護したと確かに言っていた。息子は自分から家出をしていたと警官に伝えていたのだ。もしも道端で職務質問されていても家出していたと答えただろうか?そもそも塾の帰りにたまたま犬を見つけたなどと嘘をつく事もできたはずなのに。正直過ぎる息子がおかしくて笑いたくなったが、今は誤解を招かないように息子が家出した経緯を話さなければと思い、口論の末の家出だと言う事を伝えた。そこからは親から子への日常的な暴力などはないか?という事や、今は親子間の体罰も厳しく取り締まられるという事、頻繁に家出すると児童相談所へ保護される事などを話してくれた。もちろん子供への暴力は体罰も含めてうちには無縁なので問題ないが、児童相談所の話の時には息子もそれは御免だとばかりに顔をしかめていた。あとで聞いたらやはりそれは嫌だからなるべく家出はしないようにするらしい。

家出を経て
出る時はあれだけ息巻いて、まるで嵐のように出て行った息子だったが、1匹の迷い犬との出会いによって30分で終わりをむかえた。帰ってきた時にすっかり落ち着いて(ドア叩いた時以外は)いたように見えたのは、自分と似た立場の存在に偶然出会い、家出どころではなくなったのだろう。私が彼だったらどうしただろうとふと考えた。きっと家を見失って迷っている犬に構うような優しさは持てないだろう。優しいなぁとしみじみ思う。警官から、見つかった後飼い主さんがお礼したいと言われた時は連絡先を伝えていいかと言われたが断ったと言ったら、息子にどうして?と言われたので、御礼欲しかったか?と尋ね返すとまさかと答えた。ただ、ちゃんと家に帰れたのかが心配なだけだそうだ。私は、君を心配して待っている人がいるように、あの迷い犬にもそういう家族がいて無事に家に帰れると良いなと、照れ臭くて言えない言葉を飲み込んでテレビの方を向いていた。

この回の次男くんが今回の主役です↓

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