暗い未来に照らす光

はじめに

なんか「完治」って言葉を見て、たまに反抗心が芽生えるのですが、今日はその日でした。
私の思う未来の話をしようと思います。
ちなみに難病は完治できません。

本編

日本政府が掲げる難病の定理は

治療がむずかしく、慢性の経過をたどる疾病もいまだ存在し、このような疾病を難病と 呼んでいます。ただし、完治はしないものの、適切な治療や自己管理を続ければ、普通に 生活ができる状態になっている疾患が多くなっています。そのために、現在、「病気をも ちながら働く(働き続ける)」ことが大きな課題になっているのです。現在 123 種類が「特 定疾患」として指定されており、多種多様で、糖尿病や高血圧と変わることがない疾患も あります。「難病」という言葉のイメージから先入観をもつことなく、一人ひとりのあり のままの姿を理解することが大切です。

とあります。
簡単に言えば、
現代では治らないけど、治療をしていれば普通に暮らしている人もいるよ
ってことです。

私の捉え方は歳を取るごとに変わっていきました。

1年目のころ

最初、難病発症1年目の私はこれを見た時に「本当かよ?」と半ギレしてました。
そりゃあ、ステロイドをバカバカ飲まされて身体はボロボロで精神もグラグラでお先が真っ暗でした。

「普通」とは?とも考えました。
難病でSLEで働いてる人とかいるのかよ。
なんか特殊な職種以外じゃ生きていけないのか、そもそも結婚もできるのか?相手なんていないよ…
ずーっと暗く、布団から顔を出してるのに視界は全部布団の中と同じでした。人生真っ黒だな。

未来なんか考えたくないな…

そこから私は、難病関連の本を読んでると暗い未来を考えてしまうため、そういう関連の本は捨てて、一生懸命現実逃避をしました。好きな音楽やライブ、場所、人、物、体験、全部触れ合って「今が楽しければいい」と逃げて生きました。「今が」が重要で身体のことはあんまり労ってあげてませんでした。そして体調が悪くなり反省する。
たまに、自傷行為のように自分の病気をネット検索して、病状や経過を見ては泣いてる夜もありました。

これを繰り返している内に何となくですが、4割くらいは今までの自分と新しい自分を見出せて、そして病気の知識を知っていったのかなって思いました。
ただただ目の前のことに精一杯でした。

4、5年目のころ

たしか働き初めて、自分が社会的に役に立ってる嬉しさがあり、この文を読んで「たしかに!」と思ってました。実際は勘違いだけど。

私は一生懸命「普通」を装ってました。

やっと手に入れた「普通」
ここで手放してはいけない。

そんな気持ちで過ごしてたら、一年後に再燃(再発)して、そこで「私が普通に思ってたことは違うのか」と落胆しました。
何が「普通」か。
社会的に見て普通ぽくなることは普通なのか。
それとも生きてること自体が普通なのか。
よくわからないままでしたが、とりあえずまた、2、3年は目の前のことに一生懸命に生きよう。今度は身体について理解しながら。

そして症状が落ち着いて職場復帰し、
働いてるうちに病気で悩んでた自分がバカみたいって思えるようなことを沢山言われました。

「村山さんが居て助かった」
「村山さんと一緒に働けて楽しい」
「無理しなくてもいいよ。体調悪かったら私から言うよ」

めちゃくちゃ沢山言われました。
病気で仕事を休んだら「悪」と考えてたり、病気自体が悪いことだと、健康な人が「正義」だと考えてた私にとって、
こんなことを言ってくれる人がいるのかと嬉しかったです。多分前から言われてたけど、気づいたのはここでした。今思い出して泣いてるのですが、当時は鈍感で気づかなかったです。長期的にこのようなことを言われて本当に嬉しかったです。

そこから「普通って健康的なことではないな〜」と考え始めました。
だって、ちょっと体調キツくて早退しても何も言われないどころか、少し心配されて、最初はそれが重荷だったけど、だんだん「私自身の心配しているのだな」って実感しました。暖かい安心。

その後、コロナが流行り、私の職場でも罹患者はいました。その人は復帰後にみんなの前でご報告の挨拶をするのですが
その後は今度は私から
「大丈夫でしたか?」
「○○さんとまた一緒に働けて嬉しいです」
と声を掛けました。
その人は顔の緊張が緩み「ありがとう〜」と言われました。私も安心した。

当たり前だと思ってた日常が変わりましたが、嬉しい変化も感じ嬉しかったです。

7年目のころ

私は「たまに休んでも継続的に働けるし、仕事の経験値ある。社会人になったな〜」と大学時代の友達とオンライン飲み会で話ながらしみじみ思いました。

また、21年3月にAbema primeに出演し、結構同級生が見てたらしく(これは周りに言わずに出演した)
「村山のこと、普通って思ってたけど、案外凄いんだね。」
とLINEが何通も来ました。
私は
「ありがとう!感想嬉しい!けど、私は普通に暮らしてるだけだから!」
と返事しました。

私はいつの間にか「普通」の分類に入ってたそうです。
個人的には「普通だけどみんなが思ってる普通とはあと少しだな…」と感じてましたが、ここで難病になる前の、いや、新しい自分の「普通」を見出せました。

きっと病気のことを受け入れつつも、
その病気に飲み込まれずに、自分らしさを周りから教えて貰ったり、見つけていき、その教えの光を私なりに一箇所にまとめて暗い未来を照らす

のかなと思いました。それが「普通に暮らす」ってこと。

現在

昨日、友達と歩いてたら1歳半ぐらいの子がパパママのところに向かって走ってる姿を見て

「「かわいい〜!!!」」
と盛り上がりました。

そこから「結婚できるかな〜」と歳も私は今年26歳になるし、現実的に考える話題。
話している内に私は気付きました。

私、今、こんな難病の人でも選ばれるのかな…って後ろ向きな考えじゃない。
私も相手を選ぶ権利があるって前提で話してるな。

なんだか、成長したなって感じました。
1年目のころは、「こんなダメすぎる私を選ぶなんて人いないよ。いたら神だよ。」「そもそも結婚しようと考えてはダメだ」と諦めて、選ぶ権利すらなかったけど、
今は違う。
私のいいところを私はたくさん知ってるし、それをそうだし病気のこともちゃんと受け入れてるな。もちろん感情的なものはなしで。
それはみんなが教えてくれたり、信じたから。だから選ぶ権利の未来の道が見えたのかな。


相手には「世界は広いからいい人はいるよ〜」って返したけど、それは私にも言えるなって今嬉しいです。

まとめ

世界には完治ができる病気もあればできないものをある。その2種類、結果論だけで言えば「完治」した方がいいけど
それだけで人生を優劣つけるのはいかがだと思う。

人生これからどうなるかなんて
神様しか知らないけど、
私はこんな生き方をしてて今はすっごい楽しいし幸せだ。

それにもしかしたら未来に治す方法があるかもしれない。

まあ、それに頼らずとも
私は今の私を受け入れたり、そこから挑戦することや楽しむことを辞めなければ

「普通に」いや「普通以上に」楽しい人生を歩めるんだなって気づいた。

初めは深夜2時並な暗さの未来でしたが
今は朝の7時並の明るさの未来があります

ここまで書いたら、反抗心は消えた笑
今日も楽しく生きますか!

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