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私は絶対にお前を許さない。映画「かぐや姫の物語」(感想)

 最も腸の煮えくり返った映画、「かぐや姫の物語」。劇場で鑑賞し、あまりに胸がムカムカしていたので鑑賞後しばらく口をきけなかった。

失敗すると分かっているプロジェクトをやるな

 本作は、手書きタッチのアニメーションが非常に話題にされたが、99年の「ホーホケキョ となりの山田くん」で既にチャレンジされた手法だ。そしてこのとき、あまりに工数のかかる手法を採ったことによりスタジオジブリ阿鼻叫喚の大炎上プロジェクトになったと名高い。大規模SI焼け野原の地獄めぐり経験がある私からすれば、人を不幸にすると分かっているプロジェクトをやりたがるやつは、悪!!!! 何が「実験したかった」だ。人の命は尊いって知らなかったのか?

かぐや姫「鳥、虫、獣~♪」

 っっはい!馬鹿――!!!! おじいさんとおばあさんがあれだけ愛を注ぎ込んで育て、かぐや姫の幸せを願い無理をして都会に出てきたというのに。

「山に帰りた~い」

 なんなの?! お前にはおかげさまとか、ありがとうの精神はないのか?! 勿論「良かれと思って」何をしたからと須らく喜ばれるべきではない。それでもな! かぐや姫の成長の描き方が感動的すぎただけに、この女わがままが過ぎるだろ!! こういう生き散らかしてる女、ほんとうに嫌い!! もういいさっさと山に帰れ! 鳥でも虫でもなってみろ! 人間様に食われて死ね!!!!

 でも帰らないんだよこいつはーー!!!!  

女の純粋さは無知でも無恥でもない

 私は長編アニメ「雲のように風のように」を観たときも同様の怒りに打ち震えた。ド田舎から連れてこられた皇太子の花嫁候補の少女 銀河が、その"純粋さ"で周囲を溶かしていき、最終的には皇太子とくっつき、女たちを率いて反乱軍と戦う話だ。

 この銀河が、常識を知らないからこそ古い慣習に「これっておかしくないですか?」と声を発することができ、周囲がはっと気づかされるという描写がある。物を知らないことや、恥を知らないことが女の純粋さだと思うなよ。自分の目に悪と映るなら勇気をもって言えばいいのに、その原動力を無知や無恥にすり替えて何が純粋だ。

 堅苦しい世間に対して "恥知らずにも" 自然と共に生きたがるかぐや姫。それが純粋で美しい本来の人間の姿のように描くなんて、どうかしてる。「ここではないどこか」を求めてしまうのは女性らしいとも言えるが、それ自体は恥ずかしいことであって全く美徳ではない。周囲の良心を理解し、自分の欲求を理解し、その上で葛藤して腹を括れ。ありがとうとごめんなさいを抱えて業を背負え。

 女の純粋さというのは、残酷さだ。それをもっとも崇高に表現している作品が坂口安吾の小説「桜の森の満開の下」であり、さらにより幼い=原初の生き物の残酷さが加わった作品としては「夜長姫と耳男」だろう。これらの作品で描かれる純粋な心が成す振る舞いは、まさにDirty Deeds Done Dirt Cheap(いともたやすく行われるえげつない行為)といえよう。

勝手に決定!納得の月!

 以上を前提として、月の使者襲来について言いたいことがある。圧倒的な音楽と共にヤバい奴らが現れ、その異質さに「あーー‥これは一切話が通じない相手が来たな‥」という絶望感に打ちのめされる。しかも阿弥陀如来だ。これは太刀打ちできない。ああなんだよ、お迎えが来て、極楽浄土まっしぐらか。あんなに生き散らかしておいて解脱させるわけ? まったくよくできた世の中だな。高畑勲も女の趣味がどうかしてる、こんな生き方が正解だって? ふざけるな。

 ‥と、ここで改めて考えたい。私は堅実な大人だから、怒りを怒りのままにせず、立ち止まって考えることができる。本当に月は極楽浄土なのか?と。 阿弥陀さんが来た時点で、一見、Welcome to the JODO! と思えるのだが、かぐや姫ごときがほんとうにマジで極楽浄土9ランクの最高峰、上品上生に行ける人格のわけがなあああい!!!!

 ということで、かぐや姫は極楽浄土に行く前に、じつは途中下車させられていた説をここに提言いたします! そう、月は極楽浄土ではなく、天道だったのだと‥‥。

 天道・・・ 仏教でいう六道(天道/人間道/修羅道/畜生道/餓鬼道/地獄道)のひとつ。輪廻転生というのは閻魔さん判断により六道のいずれかに転生することであり、その輪から極楽浄土へ飛び出すことを解脱という。
 ハッピーハッピーでエンヤコラな極楽浄土に対し、天道というのは以下のような特徴をもつしょうもない場所である。
・とりあえず高いところにあって大してなにもない
・煩悩はあるが苦しみはない
・仏教という教えもないため徳を積めない
 ⇒善行を成すというより無に近づいていくことしかできない
・超長寿だがいずれは死を迎え、死に方がグロい

 月の様相からするに、極楽浄土というよりは天道の方が近いのではないか。ちなみに通常のお迎えで阿弥陀さんに同行するのは菩薩さん方だけど、本作では人間っぽい何かを沢山引き連れていたので、天道から人を集めて阿弥陀さんが連れてきたという解釈で、いいでしょう!

まとめ

 天道(月)で死んで、人間道へ転生させたけどやっぱり徳を積んでないし、天道に戻すか―という閻魔さんの判断、相成ったということにまとまりました。

 竹から生まれて人間界で生き散らかした結果、解脱できずに転生し、苦しむことすらできず無になっていく天道という生き地獄。そして悠久の時を経てまた六道のいずれかに転生する。それこそが「かぐや姫の罪と罰」。

 むかつく奴が地獄よりも地獄に堕ちる。いい、映画でしたね! かぐや姫のように徳すら積めない天道へ行きたくなくばAC/DCを聞いて徳を積め!!!! これが人間だ!!!! D4C!!D4C!!


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