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封印していたもう一つの恐れ

前回の文章を書いてしばらくして、ふとした瞬間に思い出してしまった。
友人の息子さんが亡くなった日、友人に会いに来てほしいと言われた時に、自分の中にものすごい恐れが湧き上がった。その恐怖は、「想像を絶する悲痛な体験をしている人と対峙する」というものだとばかり思っていたが、実はそれだけではなかった。
絶望の淵にいる友人と対峙した時に、「自分はちゃんと泣けるのか」という恐怖だった。

涙もろい母は、よくテレビを観ながら感情移入してポロポロ涙した。子どもの私は、そんな母を不思議な感覚で見ていた。「お母さんてよく泣くね」と言ったような気がする。
どういうシチュエーションだったのかは忘れたが、「あなたは冷たい子ね」と母に言われた言葉を真実だと思い込んだ。そして、ふとした時に痛みが蘇って疼いた。
多くの人が泣くような状況で自分が泣けないと、「この状況で泣かない私は冷たい人だ」というジャッジを自分自身に下すようになった。
葬式で故人の死を悼んで涙する人たちの中で、泣けない自分が居心地悪かった。「周りからも冷たい人だと思われているのかも」という人の目を気にする私がいた。

こんな時でさえ、友人のことよりも友人にどう思われるかを気にする外向き意識の私がいた。そして、おそらくそれを感じたくなかったから巧みに封印したのだ。あの時のことを書いたことで、その封印が解けたのかもしれない。ただ、自分を責める気持ちは不思議となかった。これが私なんだと思った。

「君のことは冷たい人だとは思わないよ。君だって感情が揺さぶられて、泣くことがあるでしょう。感情を揺さぶられるポイントは人によって違うじゃないか」
以前、みんなと同じように泣けない私のコンプレックスを夫に話した時に言われた言葉だ。
そう、たしかに私には私だけの感覚、感性がある。それを結構自分でも気に入っている。そして、その感覚、感性は人それぞれだ。
「それに、泣かないからといって、決して悲しんでいないわけではないでしょ」
と夫は続けた。

そういえば、子どもの頃、感情表現が下手だった。
真っ先に思い出すのは、海外赴任が決まり、先にアメリカに渡って私たち家族の家を準備してくれていた父に久しぶりに再会した時のことだ。空港に迎えに来ていた父に駆け寄り、その胸に飛び込む4歳の弟。子煩悩な父は嬉しそうだ。一方、6歳の私は父に駆け寄れない。大好きな父に会えて嬉しいのだけれど、なんだか気恥ずかしくてモジモジしてしまった。シャイな子どもだった。そんな自分を可愛げがないと思っていたのは、もしかしたら、「感情表現がストレートな弟のような子が子どもらしくていい」という大人の考えを自分の中に取り入れてしまったのかもしれない。
小学校で支援員をしていると、小さかった頃の私と同じように、大人しくて感情表現をあまり出さない子がいる。可愛げないと思うかというとそんなことはなく、むしろその不器用でシャイな感じが愛おしかったりする。

表面に見えていることが全てではない。感性や感覚が人それぞれであるのと同じように、その表現方法も千差万別で、良い、悪いもない。
私は私でいい。
私は私だからいい。
そう思ったら、悲しい場面で自分は泣けるのかという恐れが消えてなくなった。

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