見出し画像

トリに向かって、バトンをつなぐ

先日、夜の予定が急遽キャンセルになった。

「そうだ、新宿末広亭に寄席を観に行こう!」と思い立つ。お目当ては、新宿末広亭12月中席の夜の部。

中席ってなに?

寄席は、ひと月の興行が10日間ずつに区切られていて、それぞれ上席(かみせき)・中席(なかせき)・下席(しもせき)という。
ちなみに、31日まである月は、一日余ることになるわけで。31日には「余一会(よいちかい)」というその日だけの特別興行が行われる。

私が寄席に行こうとしていた12/20は、12月中席の千秋楽。しかも、トリを務めるのは、あの人気講談師の神田伯山!

毎週欠かさずラジオ番組を聴くほどの伯山ファンの夫は、先週、せっせと新宿末広亭に通いつめ、毎回ご機嫌で帰宅していた。
で、あまりにも楽しそうに寄席の様子を語るもんだから、私もちょっと行ってみようかなという気になった。ファンの力、恐るべし。

実は、私は落語や講談自体は初めてではない。夫に誘われて、過去に、立川談春の落語独演会や神田伯山の襲名披露公演に一回ずつ行ったことがある。でも、どうやら寄席には寄席ならではの面白さがあるらしい。

「寄席では、落語や講談のほかに、漫才や奇術、曲芸、音曲などの色物といわれる演芸が観られる。通常はたった3,000円で、昼の部と夜の部を通しで楽しめちゃう、かなりお得なエンターテインメント。ただ、今回は伯山が出演するとあって昼の部と夜の部は入れ替え制になっている」

ふむふむ、なるほど。

しきたりや用語を全く知らない寄席初心者の私は、寄席の先輩の夫からレクチャーを受けて、いざ新宿末広亭へ。


当日、早めに会場に足を運び、まずは係の人から整理券を受け取る。

開演時間まであと5時間。そこで、少し早いけど、明治神宮へ一年のお礼参りに向かう。

画像1

画像2

都会のど真ん中とは思えないその静けさと清々しさが好きで、時折、一人で訪れている。周りを見ると、私のようなお一人様が意外と多いことに気づく。仕事の合間にふらりと立ち寄ったふうなサラリーマンを見つけて、何だかいいなと思う。

先日、お財布の小銭をまとめてジャラジャラお賽銭箱に入れた。それを見ていた夫に「なんか財布の中の要らないものを渡してる感じだよね」と言われて「ひゃあ、たしかに」と赤面した私。今回、お参りするときにその場面が蘇ってきて、ちょっとドキドキしながら初めてお札を入れてみた。

うん、気持ちいい!

すっきりとした気持ちで明治神宮を後にする。
鳥居の外にあるカフェ「杜のテラス」に寄り、YouTubeで前日の寄席のダイジェストを見て、今日の寄席に向けて予習をしておく。夫によると、この一手間が、寄席をより楽しむためには大事らしい。

画像3


指定の時間に新宿末広亭に戻ると、狭い路地裏は人であふれかえっていた。はやる気持ちを抑えて、整理番号順に並んで入場していく。

画像4

新宿末広亭は、真ん中が椅子席で左右に桟敷席がある。椅子席が埋まってしまい、桟敷席に案内される。

うーん、座り方はどうしようか。

‪4時間の長丁場を考えて、‬まずはあぐらをかくことに。そこから正座→体育座りと体勢を変えて、結局またあぐらに戻る。無限ループにハマる。
ふと見ると、隣の男性も何とか楽な体勢を見つけようと苦心してた。そんなところで、勝手に仲間意識が生まれる。

この桟敷席から会場全体を眺めていると、演者と観客のエネルギーのやり取りや会場の一体感が感じられて、江戸時代にタイムスリップしたような不思議な気分になる。今ほど多様な娯楽がなかった時代、寄席はきっと庶民の大きな楽しみの一つだったのだろう。会場に響く笑い声に身を委ねていたら、そんな気持ちになった。


どの演目も面白かったけど、私のイチオシは三遊亭夢丸の「あたま山」。

なぜかあらすじは知っていた。その荒唐無稽なバカバカしい話と「自分の頭にできた池に
身投げする」というラストがシュール過ぎて、この落語の面白さが全く分からなかった。

なのに、実際の落語を聞いたら大笑いしちゃったのだ。いやぁ、ビックリ。噺家さんの話芸のすごさに、思わずうなってしまった。

さらに、夢丸は、物語の途中、屋形船での宴会のくだりで、いきなり伊勢音頭を披露して爆笑の渦が巻き起こった。

実は、一つ前が音曲という演芸だった。

伊勢音頭が異常に好きな音曲師の桂小すみは、三味線片手にマライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」を伊勢音頭の歌詞で歌うという荒技をやってのけて会場を大いに沸かせた。

夢丸は、この伊勢音頭を落語に入れてきた。

「前の人の演芸を受けて何かをするというのも寄席の面白さだよ」

そう夫から聞いていたから、「ああ、これか!」と嬉しくてついニヤニヤする。
そして、次に出てきた三遊亭遊雀も落語に伊勢音頭をぶっ込んできた。

画像5

寄席は、楽屋に置かれたネタ帳にその日の演芸の題名が記録されていく。そのネタ帳を見ながら演者はその日の自分の演目を決める。

リレーのバトンを手渡していくように、演者たちはトリに向かって盛り上がるように流れを作ってつないでいく。その即興が何とも言えず面白い。

これが寄席の醍醐味なのかもと思ったり。



トリに出てきた神田伯山の迫力は、凄まじいものがあった。

十分に温められた高座に伯山が上がると、居住まいを正す人たちがいて、会場は「よっ、待ってました!」という期待感に包まれた。
本題に入る前のマクラで観客の心を一気につかみ、そのまま講談に流れ込んでいく。物語にシフトした途端に会場の空気が変わったのが分かった。

演目は、赤穂義士伝「荒川十太夫」。赤穂浪士が討ち入りを遂げた後の後日談である。

固唾を飲んで見守るとは、こういうことを指すんだと思った。登場人物が憑依しているかのような迫真の演技で、物語にグイグイ引き込まれていく。絶妙なタイミングで鳴る張り扇のリズミカルな音が、これまた気持ちよく会場に響く。

最後は神田伯山が音頭を取って、みんなで三本締めをしてお開きとなった。

そういえば、親の病気のことでしんどかった時期、実家からの帰り道に漫才やコントなどのお笑いや芸人さんのトークをひたすら聴いていた。あのときほど笑いの力を感じたことはなかったなぁと思い出す。

いっぱい笑って、身体が緩んで、心がポカポカになって、冷たいはずの師走の風が気持ちいい。

来年もまた、いい年になりそう。

そんな予感とともに家路についた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?