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依存症外来に掛かって



15年ほど寝酒に頼った生活。酒の量は増える一方。それだけでは眠れず、ここ2年は内科で眠り薬を処方してもらい凌いできたが。眠ることはできても肝臓の数値は回復しない。当たり前だ。これは立派なアルコール依存だろう、さあ専門外来へ相談だ。とはしばらくならなかったことは前回書いた。が、遂に行ってきた。

受付に、保険証と紹介状を渡す。待ち合いに通された後に看護師がきた。採血、血圧、身長体重。あと、日頃はどの程度飲むのかと訊かれた。おわって直ぐに心理士。簡単な検査と面談をしばらく。検査がどう響くか知らないが、全部しっかり答えられた自信がある。……と言えてしまうくらい簡単だった。その後、医師の診察があった。

『発達障害が問題のベースにある依存症。頭を使って社会に適応できるタイプだが疲れやすいのだろう。余暇にリラックスすることが苦手で酒を飲み、強迫的なところがあって飲み続けているのではないか』というような内容が、医師の見立てだった。

一応書くが、僕は発達障害だと診断されたことはない。今回受けた検査も、ソレをはかるものではなかったことを付け加える。しかし以前から、自分は発達障害であろうことは自任しており、また、同僚の見立てでもそうだった。

しかしその一方、発達障害というものは、社会に適応して働けているかが指標でもあるため、その観点からすると違うという話にもなるだろう。また、昨今は、なにか苦手なことがひとつでもあれば直ぐ『発達』を自称するひともいたりして。だから、僕は自任しつつも気軽にその言葉を使うことは避けてきた。

そういった経緯があるため、変な話になるが、医師の口から発達障害というコトバが出たことは嬉しかった。前述の通りで判定を受けるメリットは薄いため、これ以上発達障害については掘り下げるつもりはないが、すこし安心できた。

アルコールについても、医師から『依存症』だと言われて、こちらも変な話だが安心した。上記のnoteで触れた通り、「(否認の病だから)自称しているうちは病気じゃない」とか「暴れたりしていないなら大丈夫でしょ」みないな周りの反応もちらほらあって。だから気軽に『依存性』という言葉を使うことも避けてきた。相談が遅れた責任を擦り付ける訳ではないが、彼らに対して「な!」と言ってやりたい気分になった。気分だけ(笑)

通院してみて意外だったことがある。「あれ?自助グループをすすめてこないの?」てこと。僕が依存症を自覚しはじめたのが数年前。ネット、とりわけSNSでは、依存のことを調べると自助グループの発信にあたることも多かった。そのため、通院したらば自助グループでの活動を勧められる、くらいに認識していたのだが、そうではなかった。

自助グループもありますよ。と、簡潔に紹介されたうえで、ひとりが落ち着くひと(僕)には合わないかも知れない、と括られて。帰宅後に、あれは自分の協調性が無いと判断された結果、医師は勧めなかったのかな?と気になってスマホで検索。僕の勝手なイメージとしては、依存症者のグループワークの参加者は4割以上いるだろうと思っていたが「どうだ!」スマホの画面を覗くと1割ていどが正解らしい。

とにかく、専門医に相談できてよかった。あとはサボらずに通院し続けることが大事だろう。それについては自信がない。さあ、どうしたものか。

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