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【感想文:2】二回目のさよならテレビを見た件

東海テレビ制作のドキュメンタリー映画「さよならテレビ」を観ました。この作品「劇場でしか観られない」ものなので改めて劇場に行ってみたのでした。

僕は劇場で映画を観る事が少なく、さらに「二回も劇場で映画を観る」という事がレアなので今回振り返ってみようかと思いました。

さよならテレビについて


さよならテレビについては公式サイトをご確認下さい。


僕が印象に残ったこの映画の有名な話として「地上波で放映されてから録画されたDVDが裏ビデオのように流通した」という、さながら映画「リング」の中に出てきそうな話があります。

都市伝説的な話にワクワクしてしまう男の子は多いかと思いますが、そんな「さよならテレビにまつわる話」に興味があって2019年に観てからコロナを経て2021年に改めて鑑賞したのでした。

さよならテレビの感想とか思った事


今回「さよならテレビ」について観て思った事と言うよりか、初日の舞台挨拶における質疑応答についての雑感をかいてみたいと思います。

【注意】ややネタバレ入るかもです。嫌な方はここでそっ閉じしてください。

偶然とクオリティ

作品の中の表現について、観た人ならばだれもが質問したくなる内容についての質問がありました。(ネタバレになるので細かい質問は控えます)

その質問に対しても監督は否定するような内容の回答でした。ただ、なぜこのような作品ができあがったのか、ヒントとなるような事も話してました。それが

「ドキュメンタリーとしては異例とも言える長期間取材した結果、あのような作品が出来たのかもしれない」という事で、「作品が出来たヒント」のようなものを聞けました。

「いくつかの決め事や環境が作品の出来を左右する」という事はこの話だけではなく他にもあるかもしれません。

コンセプト病


「観るひとによっては怒りを覚える人もいる」という評価や感想が聞かれるこの作品。

質疑応答でも感情強めに「コンセプトはなんだったのか?」「決めていた事はあったのか?」と強めの語気で質問される方がいらっしゃいました。

するとそれに対する回答として監督は悩みつつも、あっけらかんと「はじめはあんまり何も考えていなかった」「明確な狙いは当初からなかった」と回答していたのが印象的でした。

コレは凄く共感するポイントで、それは「物を作る人」「作った物を受け取る人」の間にある溝の一つとして「クリエイターは全体像が見えて物を作っている」と思っている人がいるという事です。

もちろん書き出しから終わりまでイメージが出来ているクリエイターさんもいるとは思いますが、そうでない事もあるかと思います。

映画のなかの詳細な描写は割愛しますが、「テレビの中を題材にする」「そして、ある事については最後に表現する」など、少なく決め事だけで走り出したようでした。

仕事でもそうなんですが、「答えが分かった状態」で触れる仕事は少ない方だと思うし、現実には「走りながら考える」事の方が多いのかと思います。 

個人的な感想として改めて「コンセプトが決まっている」「ルールが整備されている」「答えが用意されている」と思っている人は割と多いかもと感じたのでした。

違和感を持っているという事


最後の質問者の方が想いが溢れ過ぎたのか、質問がまとまらない様子で最後に「この作品で言いたかった事は何なんですか!」とこちらの方も語気強めに質問されました。

すると間を入れずにプロデューサーさんが「その答えを言っちゃうのは勿体なさすぎるよ」と回答していたのがとても印象的でした。

「この映画で表現したかった事ってなんだろう」「あの表現に違和感があって気になる」などなど、「違和感を受け取って自分の中でもやもやとゆっくり消化させる」ということは、ある意味で「贅沢な事」なのかなと考えました。

個人的には映画よりもこの質疑応答に発見があったのでした。

さよならテレビは自分の状況をうつす鏡のような作品


この作品ふ自分の考えやコンディションによって観た後に「怒り」「フラット」「悲しみ」などなど極端に感情が溢れる作品なのかな。と思いました。

それはまるで「自分をうつす鏡のように自分の感情を映す」そんな作品なのかなと、そんな感想を持ちました。

「違和感や疑問」を得られるこの作品、機会があればごらん頂くことをオススメします!

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