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そんな音をつくってやろう -戯曲「半神」野田秀樹・萩尾望都

野田秀樹が好きだ。

劇作家であり、役者であり、演出家である。どの役割の野田秀樹も大好きで、3つを1つの体でやっているそのあり方に強烈に憧れる。仕事、制作、勉強、生活……自分の行動に具体的に影響を及ぼしている。

ここでは、戯曲について書く。戯曲は言葉で構成され、文字で残るからだ。演劇は、観ないと分からない。役者の声も演出も、体験しないと分からない。戯曲は、とりあえず文字で残っている。戯曲を、ただ戯曲として読む、という文学がもっと広がることを願っている。

野田秀樹はしばしば、上演台本に過ぎないから戯曲集を出すことに抵抗を感じる、ということを書いている。作家本人が、舞台芸術家としてそう考えるのはよく分かる。でも、戯曲が戯曲として残り、台詞が文学として読まれることで、作品は受け継がれて、いつか後世の、すごい演出家の手によって窯変するかもしれない。

それが観られたら素敵だし、何より私は野田秀樹の戯曲に言葉で残された台詞が好きだ。強くて靭やかで、うつくしい。(このことを考えて、私は学部の卒論で、近代から現代にかけて上演台本がどう「読む戯曲」として文学になっていったのかを書いた。)

野田秀樹の戯曲との出会い

初めて作品に触れたのは、1999年4月のシアターコクーンだ。19歳だった。チケット発売日に、筑波のチケットぴあに朝4時から並んで買った。ただし、当時は演劇というものを何か大袈裟でださいものだと感じて敬遠していたから、熱心に観劇する趣味のあった彼女に誘われて仕方なく、だった。

このとき既に、彼女から「『Right Eye』という芝居を観たのだけど、右目が正しい目というダブルミーニングで、彼は本当に失明していて、……」といった話は聞いていて、野田という人はずいぶん特別視されているのだな、とは感じていた。

でも、電車も無い筑波からわざわざバスで東京に出てまで、何かを観に行きたいという気持ちは全く無かったから、単にデートのイベントのひとつ、まさにお付き合いのつもりだった。(この出不精な性格は今でもほとんど変わらない。NODA・MAPはほぼ全て観ているが、演劇そのものを熱心に観劇するファンには、ついになれなかった)

NODA・MAP第6回公演は、野田秀樹がかつて率いた劇団「夢の遊眠社」の作品「半神」の再演だった。劇団を解散してプロデュース型の公演体制に移行してから、過去の作品で公演を行うのは初めてであったかと思う。特に劇団時代の作品は難解だとされていたので、スター俳優を起用して分かりやすい路線を行っていたNODA・MAPにとっては挑戦的なことだったのではないだろうか。

じっさい、わけがわからなかった。2時間、何をやっているのか、言っているのか、私には全く分からなかった。それは、芸術のことなら何でも分かる、と自負していた未熟な私には、衝撃的な体験だった。ただ、緞帳も無い、稽古場をそのまま舞台の上に持ってきた空間で、小柄な(私とほぼ同じくらいだ)人が、かん高い声で(私も高い声でかんかん喋る)、飛んで跳ねて回っていた(言語芸術に、身体がどんな価値を持つというのだ……?)。その人に目は釘付けになり、あとはもうずっと、「野田秀樹」という人のことばかり考えるようになった。

こうなると、オタク気質の回路が開いて、もっと!というドーパミンが発火し、徹底的にやった。夢の遊眠社時代からの戯曲を探し回って買い集め、図書館で古い演劇関連誌を片端から開いてコピーをとり、公演のビデオを持っている人をネットで探した。彼女をNODA・MAPの新作に誘う側になって、絶対に良い席を取るのだと、早朝というより深夜からチケットぴあに並んだ。

「パンドラの鐘」はシアターコクーンの蜷川幸雄版も、世田谷パブリックシアターの野田秀樹版も両方観に行った。スマホどころかGoogleMapも無い時代に、交通機関が苦手な自分には苦行そのものだったが、それでも行動した。野田秀樹が見たい、という情熱にただ衝き動かされていた。

挙げ句の果てに、自分で野田戯曲の舞台公演をすることにした。小劇場サークルの知人をつかまえて、「赤鬼」を上演したいから、制作(プロデュースや段取りの一切)と演出をしてほしいと頼み込んだ。自分は野田秀樹が演じた「とんび」をやるという前提で。役者の経験などもちろん無かったが、台詞はもう頭に入っているし、きっと出来ると思っていた。

当時、気合の入った劇団がいくつかあった。それまでコミュニティに関わりの無かったよそ者ながら無理やり各所に顔を出して、人を巻き込み、大学の大きなホールを借りた。公演をすることにしてから出来た仲間たちは、早々に諦めて最後まで付き合う覚悟を固めてくれた。私は野田秀樹みたいになりたいだけの、わがままなよそ者だった。20年以上経ったが、いつかきちんと感謝を伝えたい。

それからは、自分で戯曲を書いて、演出をして、と発展していくのだが、ここではとにかく、野田秀樹の戯曲について書く。

戯曲「半神」

とにかく、「半神」である。

下に引用する台詞といい、「本歌取り」でつくられた構成といい、最高だ。

以下、冒頭の台詞。

昔、ある日男が一人やってきて、その岬の波のどよめく陽のささぬ浜辺に立ってこう言った。……この海原ごしに呼びかけて船に警告してやる声が要る。その声をつくってやろう。これまでにあったどんな時間、どんな霧にも似合った声をつくってやろう。

こうやって始まる。とにかくこの一節が好きだ。

私は、人前に出てあれこれ話さなければいけないときは、発声練習のかわりにこのくだりを声に出して暗唱している。仲間にも見られ、キモくてイタいことこの上ないが、それでもやる。

たとえば夜ふけてある、きみのそばのからっぽのベッド、訪(おとの)うて人の誰もいない家、また葉のちってしまった晩秋の木々に似合った……そんな音をつくってやろう。

一連の台詞だが、ここからはブロックごとに別の役者が担当する。

……鳴きながら南方へ去る鳥の声、11月の風や……さみしい浜辺によする波に似た音、そんな音をつくってやろう。

それはあまりにも孤独な音なので、誰もそれを聞きもらすはずはなく。

それを耳にしては誰もが、ひそかに忍び泣きをし。

遠くの町で聞けば、いっそう我家があたたかく、なつかしく思われる……そんな音をつくってやろう。

稽古場で、役者たちが読み合わせをしている、という設定のシーンで、まだ何も始まっていない。起きていない。

おれは我と我身を一つの音、一つの機械としてやろう。

そうすれば、人はそれを霧笛と呼び、それをきく人はみな永遠というものの悲しみと生きることのはかなさを知るだろう。

最後のブロックを主役二人(二人一役の主役とは)が読み終わると、「今回の芝居はこんな感じで始めます」と、野田さんが現れる。。。

「半神」の”本歌”

戯曲「半神」は、実は共作である。

あの萩尾望都だ。

萩尾さんの漫画「半神」と、「霧笛」という作品を混ぜて戯曲に構成しなおしたのが、この戯曲である。以下リンクの単行本に所収されている。

「霧笛」にはさらに原作がある。 レイ・ブラッドベリの短編で、ハヤカワと創元の文庫に収録されている。

既存の作品を下地に構成するつくり方は、和歌の手法になぞらえて「本歌取り」と呼ばれている。野田秀樹の作劇では、表に大きく出ている”本歌”の他に、複数の作品が組み込まれていることが多い。サブだと思っていたものが実は主題として浮かび上がってきたり、現代の事件や現象の写し絵であったりすることが分かってくる。

同じく解散前の名作、「贋作 桜の森の満開の下」も、坂口安吾の”新作”の他に、「夜長姫と耳男」などが重要な要素として組み込まれている。他に著名な世界文学が目立つモチーフとして現れてきたりもするのだが、それが匂ってくる瞬間が、前半のあそびや冗談と、後半の核心とに散りばめられ、独特の世界をなしている。

戯曲「半神」を読んで、戯曲そのものに興味を持った方がいたら、ぜひ上に紹介した本に収められた”本歌”作品も読んでほしい。

精緻にして微妙な台詞

1/2と1/2が。
袖ふれあって奏でるリズム。
1/2と1/2で。
2/4は、タンゴのリズム。

1/2と1/2で2/4。
その謎は、解かずにお帰り。 

世界の果てから、タンゴのリズムで出すわけにはいかない。
出ていくならば1/2。
人間のリズムで、出てお行き。

記号や数字は、戯曲で読んでやっと何を言っているのか分かる事が多い。解像度を高くして読み始めると、言葉にあそび、言葉で追い詰めていくことでしか表現できない細工の構造物になっている。

半分と半分とで、つねに半分をしかつくらない1/2のらせん階段を上がるうちに。
もうひとつのらせん階段を降りてくる男の懐中電灯のあかりと僕は、すれ違った。

何の謎を解いているのか

「半神」は謎を解く物語だ。何の謎を解いているのか、が少しずつわかってくる。世界の果てで生まれた、はて?を解く。

核心に触れる単語を含むものを避けて、特に好きな台詞を引用する。

好奇の目の中。人間の中で、化け物として死んでいくんだ。それより、化け物に戻って、みんなの愛に包まれよう。

きみ達の背中に、交互の羽をつけ、きみ達は風をうけてまわり出す。

孤独は、ヒトになる子にあげよう。代りに、おまえには音をつくってあげよう。

そして、もう一度、冒頭の「昔ある日……」に戻る。物語の、内側とも外側ともつかない、黄昏の空間で、最後の謎が明かされていく。

きみは遠くから来たんだ。遠く深い山から千マイルも深い海底から、百万年もの時を経て、そんなに長い間待っていた、あれは最後の一群……ここに5年前に人が来て、この燈台を建てた。そして霧笛をそなえつけ、それを鳴らすんだ。きみは眠っている。深い海の底で、遠い世界の夢なぞを見ている。

”本歌”ブラッドベリ、萩尾望都の「霧笛」の台詞が、野田秀樹の言葉に少しだけ調えられて、ほぼそのまま出てくる。独立した文学作品が、つなぎ合わされて、「このために書かれたものだったのかも?」「この言葉は、野田秀樹に使われるのをずっと待っていたのかも?」と錯覚してしまうような、意味の場があらわれる。やっぱりすごい、「半神」。

「解散後」の戯曲集を全部読み直してみた

「赤鬼」の上演準備中、野田秀樹ご本人からメールをいただいたことがある(!!!)。大学生だった私にとって、これも衝撃的な出来事だった。夢中になって野田秀樹の真似を始めていたら、ご本人から直接連絡が届いたのだ。普及し始めていたインターネットの恩恵を実感した事件でもあった。

メールの内容はこんな感じだった。

”新作「カノン」の執筆中で、進まないのでブラウジングしていたら、あなたたたちの「赤鬼」の公演情報が出てきた。応援してます。”

学生相手に油を売っている場合ではないのに。。。ということまで書かれている、チャーミングなメールだった。

そのときに書かれていたという戯曲「カノン」。後日、ワクワクして観に行った。やっぱり、ついていけなかった。戯曲を手に入れて貪るように読む。また好きになる。以来、ずっとそれを繰り返している。

ということで、あまりにも好きな野田戯曲について大括りにまとめたnoteをつくりたいと思っていた。劇団解散後から、発刊されている戯曲集の全作品を読み返して、自分にとって大事な台詞を抽出した。

「半神」は私の原点だが、書かれたのはNODA-MAP以前、夢の遊眠社時代である。そちらのnote記事の承前として、これを書いた。

よかったらそちらもご覧ください。

追記(2021/04/17):

企画・プロデュースした「近未来教育フォーラム -Raise Our Flag-」のキービジュアルである「神話の海獣」(油絵・60号)は、「半神」をめぐる対話から生まれました。

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以上です。ありがとうございました。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。つたないものですが、何かのお役に立つことができれば嬉しいです。