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だれかを助けることをやめる 〜相談に応じてばかりで疲弊していた〜

頼られるとNOと言えない

私は、昔からよく人から相談される。
こちらのしんどさを吐き出せる場所はないのに
人からは頼られる。

本当は大変なのに
本当は自分がしんどいのに
SOSを伝えてきた人に
「ごめん。私もしんどい」とか
「えー、私の時間と体力はそんなにゆとりない」とか
「え、無料ですか? 仕事でカウンセリングしてるのに?」とか
言い出せなかった。

だれかと会うのは楽しい。
だけど、人と会うと、
ほとんど8割、相手の相談や愚痴を聴いている
という状況になってしまうのだ。

実際に
「話を聴いてほしい」と
連絡されることは多い。

「聞いてほしい人」と「聞いてあげる人」。
そうなってしまう。
経済的にゆとりないのに。
ずっとがんばってきて体力もギリギリなのに。

「助ける」ことは私の義務ではない

そして、SOSで呼ばれるままに
夜中に車で駆けつけたり
電話で対応したり
カフェで話を聞いたりしてきた。

それなのに、してあげた相手に限って
その後、去っていく。

しんどいなかで話を聴いてあげたのに
しんどいなかで時間を割いてあげたのに

最終的に、冷たくされたり
いきなり人に陰口を吹き込まれて
そのつながりの人からも嫌われる。

理不尽だ。

ずっと、そう思ってた。
でも、そうじゃない。

神さまは、私に「断る練習」を
させてくれてたんだと思う。

「助けてもムダなんだよ」と
教えてくれていたんだろう。

「『助けたい』はエゴなんだよ」と
教えてくれていたんだろう。

「あなたはあなた自身を助けなさい」
教えてくれていたんだろう。

私は、相談されることを迷惑だとは思わない。
できることなら力になりたい。

でも、あまりにも時間を奪われると
「もうちょっと成長したらいいのに」と
だんだんイライラしてきてしまう。

成長を止めているその人の話を
一時的にに聴いてあげて
すっきりさせてあげても
そのことで満足するのは、
実は、その人ではない。

役に立ちたいという
私自身である。

結局、「そうしてあげたくなる自分」
の弱さ、愚かさでもある。

私は、その人の話を聴く義務もなければ
「利他な自分」に酔いたいわけでもない。
私にとって「利他」はわりとナチュラルで
むしろ、自他の区別が難しいタイプだった。

それでも、うっかり助けたくなるのは
「ほんのりとした承認欲求」と
「人を助けなければならない」という
妙な使命感

しみついた「人助け」の習慣
みたいなものがある。

でも、そのことで
私は、私の、成長をも止めてしまっていた。

それは、私のやるべき
「はたらき」ではない。
と、気づくべきだった。

助けないことへの罪悪感
のようなものを、もっと早く
手放すべきだった。

「助けない」と決める

セラピストという仕事では
仕事だとわかっているから
「非介入」を徹底している。

クライアントにはアドバイスをしない。
決して、その人の成長を期待しない。

でも、相談されて
自分の時間と労力を奪われると

いつまで悲しみ続けるの?
いつまで成長しないでいるの?
あなたが成長する気がないおかげで
私の時間と労力は削られてしまう。

という不満が生まれてしまっていた。

「命を削って無償で相談に乗ってあげてるのに変わろうとしない人」
に疲弊してしまう。

挙句、彼らはさんざん私に甘えておいて
私への不満が生まれてくる……らしい。

そこで
①無償の相談はしっかりと断る
②有償の講座の受講生のみ相談に乗る(でも自己犠牲にならない程度)

ということを始めた。

おかげで、すごく気が楽になった。

それでもうっかり助けてしまって(習慣って怖い)
そのために、トラブルに巻き込まれるという
体験をこの一年でまた経験したことで、
私は本当に本当に、もう人を助けるのを止めると決めた。

私は、ゴミ箱ではない。
私は、人の話を聞かない。
私には、断る権利があるのだ。

そう受け止める必要があったのだろう。

地底でがんばる神様に見守られる人

昨年、某占いの館で仕事をしているとき
同業の先輩占い師に、
「あなた、速佐須良姫命の御加護を受けてるのよ」と
教えていただいた。

ある程度の、お祓いができることは
自覚していたけれど、この情報は妙に納得。

速佐須良姫命(はやさすらひめのみこと)とは、
祓戸大神の四神の最後に、すべてを祓う神様で
根国(ねのくに)、底国(そこのくに)に坐す神。
全ての罪穢を祓い捨てるとされる神で、
川の瀬にいる瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)が 川から海へ
海にいる速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)が飲み込んで
海に強風を起こす気吹戸主命(いぶきどぬしのみこと)が地の底に吹き
地底の国にいる速佐須良比売神(はやさすらひめ)が
その罪を持ってさすらうと消えてしまうという
「祓え」の流れの最後の神様。

昨今、瀬織津姫命ばかりもてはやされているけど
私を守護してくださっているのは
地の底にいる最終的な処理を担当する速佐須良姫命
と聞いて、なんだかとっても腑に落ちた。

この世は、華やかな人に
みんな惹かれるもの。

心をくだいた相手に最終的に煙たがられ
命を削っていたことにも気づかれず
感謝してもらえない感じが、
地の底という見えないところで
ひたすらがんばる神様。
笑えるほど共鳴する。

私にとって一番、感じたくない感情とは、こうした
「努力が報われないこと」
「誤解され理不尽な評価を受けること」

かもしれない。

それでも、わかる人にはわかってもらえる。
だから、今後は、そうした人に
巻き込まれないように
こちらから声をかけたり
積極的に人を助けたり
するのをやめようと思う。

なによりも、
その「必要がない」のだと解釈して
自ら関わっていくことを
やめていこうと思う。

今生で数えきれないほど、もう助けてきた。
自死願望のある人やうつ病の人を助けたけど
そのときも、うつ病で記憶がないようで
まともに感謝すらされなかったではないか。

全員ではなくて
お礼にと紹介してくれた仕事がきっかけで
後に長年関わることになる
NHK出版とも出会えた。
でも、ほとんどは
甘えるだけ甘えられて終わった。

感謝されるためにしてるのか?

そうだよ、人間だもの。
最初から感謝を求めていた
わけじゃないけれど、やっぱり
ただ「ありがとう」と言われたかった。

だけど、先にバウンダリー(境界)を
崩したのは、私だ。

私が、自分の時間を
彼らのために使うほど
親身になり過ぎたのだから。

30代で、一度、悟りの境地に達したとき、
見えない存在に
「普通の生活をしたいから戻る」と
宣言したのは、自分だ。

もとの次元の
欲の世界に戻って役立ちたいと
望んだのは、私自身だ。

すべて、自分の選択だ。

自ら、次元を下げたのに
下げたからこそ、自分の生々しい業に苦しみ
感謝してもらえなかったことに
理解してもらえなかったことに
この10年は苦しんできた。

自ら尽くして
境界を曖昧にしたのに
私の「空(くう)」を奪われ
そろそろ出てってくれと
イライラした。

あほだ。
自分で選んだくせに。

私は、もう、
ただただ、私でいる。

今後の人生は、そこに集中するのだと
あらためて、そう宣言しよう。

この5月に入ってから
ただただ、私でいる。

おかげで、やっと私は、
再度、ステージアップできたらしい。

いま、一番、最高✨✨

「人を助ける必要はない」と
教えてくれた人たちに感謝。
あなたたちのおかげです。

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