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映像も文章も目的に合わせた工夫が大事

ドラマのレビューで
『初恋の悪魔』について
書きました。

その中で、本作の
自宅捜査会議なる描写の
秀逸さについて、

特に力点を置いて書いたつもりです。

本当は、もっと細かい部分の
話も交えて、
解説したかったのですが、

長くなりますし、
観ていない方にはピンとこない話かも、
と思ったので、割愛しました。

(今度、書くかもしれないし、
 書かないかもしれない)

レビューの中で、
「4人が模型を前に
 ただ喋っている映像だったら、
 ここまでの魅力は出せない」
と書いたんです。

自分で書いていて、
なんですが、
まったくその通りだと思いました。

映像に限らず、絵でも、文章でも、
そうだと思いますが、

実際にあるものを
忠実になぞるだけでは、
あまり魅力的にはなりません。

もちろん、すごいとは思いますよ。

見たものを写真のように
精密に描写できる画力とか、

体験したことの一部始終を
こと細かに表すことのできる
記憶力とか、

能力としては素晴らしいですし、
私にはとてもマネできません。

でも、それがおもしろいのか、
魅力的に感じられるのか、
といったら、
そうとも限らない気がするんです。

私はもともと、
写真を撮るのが苦手だったんですが、

note で読ませてもらった
記事がきっかけで、
毎日写真を撮るようになりました。

写真もある意味では、
それと似ているかもしれません。

人間は起きている間は、
数えきれないほど、
いろんなものを目にするわけですが、

それらを全部、写真に撮っていても、
しょうがないと思うんです。

「毎日、最低1枚は撮る」
と決めたら、
自分が「いい」と思うものを
撮るしかありませんよね。

撮り方だって、
いろいろあります。

撮りたいものを真正面に据えて、
画面の真ん中に入るように
撮ることもできますし、

あるいは、その一部だけ、
見切れるように
撮ることもできるでしょう。

撮ってからどのような
加工を施すのかも大事です。

また、これは毎日撮るようになって
気づいたことでもあるんですが、

特に外で写真を撮る場合には、
明るさの違いによる、
光と影のバランスも

時間帯によって、
ずいぶん違うんですよね。

つまり、何が言いたいかというと、
絵でも写真でも文章でも、
あるいは映像でも、

見たまんまを忠実に
なぞっているだけでは、
見ている人に何も伝わらない
ということです。

文章でいえば、
「何を伝えたい」かによって、
伝える部分や伝え方を
変える必要がありますし、

自分で考えて、
工夫するのが大事です。

『初恋の悪魔』の
自宅捜査会議のシーンを観ていて、
そんな工夫が随所に感じられて、

映像そのものに感動しましたし、
自分が何かを創作するうえで、
参考になる部分が多いなぁ
という感じがしました。

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