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酸っぱくて苦い、いつものコーヒー。

日常的にコーヒーを飲みだしたのは、高校3年生の頃だった気がします。

「コーヒーを飲めるようになれば大人に近づく」という下心を発揮して、最初はマウントレーニアのカフェラテを飲んでいました。


その頃のぼくは大学受験に向けて、勉強勉強勉強……の日々。

通っていた予備校は理系科目に強いと評判で、根っからの文系人間のぼくは、どこか疎外感を感じていました。

予備校にいる高校の同級生も理系クラスの奴らばかりで、ぼくはひとり自分と向き合いながら、現代文や世界史と格闘していたのです。


そんな孤独な受験勉強の友として、いつも机の上に置いていたのがマウントレーニアのカフェラテでした。

予備校から少し歩くと100円ローソンがあり、普通のコンビニよりも20円ほど安く購入できたのです。そこで、青いパッケージのマウントレーニアノンシュガーを買うのがぼくの日課。毎日2本は欠かさず飲んでいたのを覚えています。


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でも正直に言ってしまうと、ぼくはコーヒーが特別好きなわけではありませんでした。むしろ、こんな苦い液体をよくみんな飲んでいるなあ……というのが本音でした。

ではなぜ、高校3年生のぼくは毎日マウントレーニアを飲んでいたのか。

思い返すと笑っちゃうような話ですが、おそらく「コーヒーを飲んでいる自分」に酔いしれていたのでしょう。お前らと違ってコーヒーだって飲めるんだぜ、という精一杯の自己主張だったのかもしれません。


当時の話をすると、予備校の自習室でコーヒーを勉強のお供にしている学生はほとんどいませんでした。

もも味のいろはす、紙パックのリプトンレモンティー、キャップを捻るたびに音が出て迷惑な三ツ矢サイダー。高校生の好む飲み物は、まだまだ子どもと変わらなかったのです。


そんな予備校の学生たちを横目に、ぼくはコーヒーを飲むことで、彼らと自分を差別化したかったのかもしれません。

予備校に友達がおらず、孤独と闘っていたぼくなりの、精一杯の抵抗だったのでしょう。ブラックコーヒーは苦くて飲めないけれど、ノンシュガーのカフェラテを選ぶところがまた、拗らせすぎた自意識を表していました。


ドッジボールの輪に入りたいのに、涼しい顔をして読書しているような。スタバでMacを広げたいのに、あえてWindowsマシンを持っていくような。

そんな斜に構えたところが、ぼくには昔からあったんですね。


🍳🍳


月日は流れ、24歳になったぼくは、変わらず毎日コーヒーを飲んでいます。

当時と違うところといえば、カフェラテがブラックコーヒーになったところと、少しは無駄な自意識から解放されたところでしょうか。



ぼくが毎日飲んでいるのは、スーパーで一番安く買える、ネスカフェのブラックコーヒー。

高校生から味覚が成長していないぼくは、未だにコーヒーの優劣が分かりません。家でテキトーに淹れたのも、純喫茶のマスターが丁寧に淹れたのも、どちらも「ああコーヒーだなあ」という感想しか持てないのです。


そんな理由もあって、普段のコーヒーはとびきり安いものを買う、と決めています。コーヒー通の人からすればネスカフェなんて飲めたものではないのでしょうが、ぼくにはこれぐらいがちょうどいい。

酸っぱくて苦いこの雑味が、上手くいかないことばかりの生活をよく表しているような気がして。

味もわからないくせに、自分で豆を挽いて丁寧に一杯を淹れるような。そんな自意識に支配されていないことが、高校生から唯一成長した点かもしれません。


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