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カズオ・イシグロの脚色が本当に見事だった「生きる Living」

 1952年公開の黒澤明監督作「生きる」は公開直後から世界的に高い評価を受けた作品で、言うまでもなく黒澤監督の代表作のひとつだ。本作はそのリメイクとなるわけだけど、90年代にスピルバーグがリメイク権を獲得してトム・ハンクス主演で映画化しようとしていたこともあって、その時には正直な話、「勘弁してくれよ」と思っていたんだけれど、結局、スピルバーグでもこの傑作のリメイクは実現できなかったわけで、それはこのオリジナル作品の完成度の高さをそのまま物語っていると思う。

 黒澤作品のリメイクというと、「七人の侍」を西部劇に翻案した「荒野の七人」が有名で、他にもロジャー・コーマンがB級SF活劇「宇宙の七人」を作り、西部劇ではさらにリメイクされて「マグニフィセント・セブン」となった。「用心棒」はリメイクというより無断でパクられて「荒野の用心棒」となったけど、これはセルジオ・レオーネ監督とクリント・イーストウッドの出世作になり、その後黒澤プロとも和解して今はクレジット表記もされた正式なリメイクになっている。
 リメイク作品として成功したのはこんなところで、「羅生門」のリメイクであるポール・ニューマン主演の「暴行」はそれほどの出来ではなかったし、日本でリメイクされたものとしては「野良犬」「椿三十郎」「隠し砦の三悪人」などがあるが、いずれも成功しているとは言いがたい出来だと思う。

 結局のところ、黒澤作品、特に戦後の作品はどれもが高い完成度を誇っているが故に、「リメイクをする」という試み自体がハードルの高いものになっているわけだ。

 そうした中でようやく実現した「生きる」のリメイクが「生きる Living」なわけで、紆余曲折を経てゴーサインが出ただけあって、その出来映えは見事だった。

 最大の功績はやはり脚色を担当したカズオ・イシグロのまとめ方だと思う。あの長いオリジナルの物語を必要最小限におさえながら、市民課の新人職員という新たな設定を盛り込んだことで分かりやすくなっているし、オリジナル版にあったいくつかの「気になる点」が、彼の登場によってことごとく解決できているところは、さすがノーベル賞作家と唸らされるほどの巧みさだった。具体的にはオリジナル版では小田切みきが演じた「とよ」という女性職員が、主人公の渡邊が「再生」を果たした後には葬儀の場面にも登場しなかったこと(ただしオリジナルではそこがリアルでよかった点でもある)で、これは観客がほんのりと望んでいた展開でもあった。また、渡邊が雪の中でブランコに乗っている姿を目撃した警察官の扱いも上手くアレンジされていて、このリメイク版の展開はオリジナル版を観ていた人の中にも「これでもよかったんだよね、実際」と思ったりしたはずの流れになっていた。また、今回、渡邊に該当するウイリアムズが、新人の職員に宛てた手紙を残していたことは、時代設定はオリジナル版と変わらずとも、製作された現代という時代の人々に合わせた形の分かりやすいメッセージになっていて、これはこれで巧いやり方だなと唸った次第。どれもがオリジナルの作品が含有していた多くのメッセージをきちんと理解して咀嚼した上での再生産になっていて、最初から最後まで、オリジナルの黒澤作品への最大限の敬意に満ちていた。
 これは監督の演出、カメラマンの撮影と照明、編集、美術などなど、すべてのスタッフ、そしてキャストが本当に丁寧に仕事に取り組んでいたことによる完成度でもあるし、歴史的名作の再生産に取り組んでいるんだという責任や緊張、そして自負までもがすべてプラスに働いた結果なのだと思う。
 鑑賞中にオリジナル版が頭をよぎったりしたことも理由ではあるが、何度も嗚咽するほどに涙が溢れてきたし、自分自身が現実問題として「死」を考える年齢になっていることからも深く心に突き刺さりもしました。
 本当にこの難題をよくもここまで巧くクリアしたものだと感嘆しましたし、このリメイク版に対して不満な点は微塵もない、というのが偽らざる心境です。

 その上で、なんですが・・・
 それでも、オリジナル版の方がやはり偉大でした。これは今回のリメイクチームが選択した潔さの結果でもあるし、そこは非常に紳士的だとも思うので、リメイク版の落ち度でも何でもないんですが、オリジナル版にあった様々な映画的表現を、このリメイク版ではあえてなぞらなかったり、カットしたりしていました。オリジナル版を未見の人のために最小限の言及にとどめますが、主人公が自分の病気を真に悟った直後の無音が長く続く演出や、渡邊がとよに自分の死期について告白した後の、あの有名な階段の場面などがありませんでした。こうした点を回避しながらも、あれだけの作品に仕上げたのはもう本当に素晴らしい仕事なんですが、黒澤監督の持つ、人によっては抵抗を感じるかもしれない濃度のロマンチックさやセンチメンタリズムが、特に階段の場面では最大限に炸裂している、まさに映画の持つダイナミズムが発揮された場面は、やっぱり忘れてはならない名場面だと思いました。
 そういった意味では今回のリメイク版でこの物語を知った世代の人も、これを機会にオリジナル版を観ることになるかもしれないし、そうなった場合にも最大限の感動を味わえるようになっていると感じました。


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